先日、「今後の生活や仕事のヒント」を得に県をまたいで隣県の陸前高田市市役所へ・・・。
人生=余生とも言われそうな年齢で、今さら仕事?とも言われそう・・ですが・・・。
「買い物」と「ウォーキング」がもれなく入る午後。
アップダウンの続く道はがらがらで、過日カモシカちゃんが昼ご飯を食べていた沿道に今日その姿はありませんでした。
ほどなく陸前高田市の入り口まで来ると、突然広大な平地の景色に変わります(だから津波の被害も甚大だった)。
6m以上にかさ上げされた中心地の図書館併設ショッピングモール「アバッセたかた」に軽自動車を停め、市役所まで1㎞ウォーキング。
有名な「奇跡の一本松」や「津波伝承館・道の駅」は海岸沿いにあります。
津波は気仙川を約4㎞奥までさかのぼりました。
今住む集落を含め、3月13日の”マスク解除”後も”いままでと大して変わらない”マスク風景が続いています。
それは”閑散とした外でも”(マスク散歩&マスクウォーキング、ご苦労様です)。
ところどころに「売地」の看板がある”スカスカ”の平地を歩くこと10分ちょっと。
黒と茶色のモダンな建物が見えてきました(7階建て)。
このあたりはすべて震災後に整地された土地です。
2012年、震災の翌年。
現在の市役所が建つ前、まだ敷地に小学校があったころ、関東在住の遺族からの依頼で、後ろの半世紀以上(?)の市営住宅(木造・戸建て)へ県央から片道160㎞を日帰りで4往復したころからのご縁です。
時は奇しくもWBC(ワールドベースボールクラシック)の優勝が決まった日の午後。
地元出身の千葉ロッテマリーンズ・佐々木朗希さんの垂れ幕が・・。
建物に近づくと、茶色い部分に木が使われているようで、風雨(雪)に”耐久性”が気になりましたが、きっと木だけに”気のせい”でしょう・・・。
入口の案内所で広報誌と参考資料をいただきました(次回は訪問せずとも市のホームページでOK)。
国立研究所の推計人口によれば、2015年に19758人だった市の人口は、今から22年後の2045年には8272人減り11486人(15年比41.9%減)になるとの記載があります。
30年間で41.9%減は驚きですが、これでも全国で1682ある自治体の936位から961位になることを考えると、決して”例外ではない”と思われます。
これからほとんど活用されない(?)広大な敷地(空き地)の中に点在する建物は、耕作放棄地は増えれど田園に点在する農家の家々・・の風景とは違います。
売地の看板が点在する空き地は、震災後整地された沿岸部によく見られる景色です。
どうしても”耕作放棄地”ならぬ”活用放棄地”に見えてしまうのは自分だけでしょうか?
市役所からの帰り。
海に向かいなだらかに下るメインストリート(?)をぶらぶら行けば、向こうからかわいらしい電気自動車(グリーンスローモビリティ・モビタ)がやってきました(運営は一般社団法人)。
時速20㎞未満で観光・商業施設や市営住宅を結ぶ100円バスです。
窓にガラスがなく、運転手さんが汗を拭き拭き信号待ちをしていた昨年の夏。
この時期は窓をビニールでおおって、風雪(雨)をしのいでいるようです。
ショッピングモールのスーパーではない、イオン(スーパーセンター)で用を足すのがこの地を訪れた際のルーティン。
季節外れの割安りんご(このあたりはりんごの産地でもあります)をまとめて買って”外して”しまいましたが、まあそんなもの(しわしわ~)。
過日、県央のスーパーで見かけた”広田湾漁協のわかめ”はご当地のイオンでは4種類もあり、県央の150gではない300g入りで、最安”の”300円(くきわかめ)から600円まで(税抜)。
やはり県央の150gで100円(税抜)はお買い得でした(↓↓)。
もっともそのわかめも、3月29日に訪れた時には売り場面積を縮小し300円(税抜)に3倍増!、予想通りでした。
後日。
市役所でいただいた3つの資料を拝見すれば、その充実ぶりに目を見張りました。
田舎ならではの情報も満載でとても好感が持てました。
「移住者さんいらっしゃい!」の気持ちが伝わります。
その内容は次回に・・・。
(以下は陸前高田市の過去記事です)