3月の市の広報誌に載っていた新生児の名前は「亜都」ちゃん「渚彩」ちゃん。
呼び名は、、、、、「あづ」ちゃん「なぎさ」ちゃんに、名付けサイトでもあるのかと思う、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月14日(月)
フランス⇒スイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在12日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
午前。
ウィーンの街角で出会った富山県の「ママさんコーラス世界大会」帰りの4人との楽しいひと時を終え、急いで残る一つのビザ取得へ向かいました。
ホテルからポーランド大使館まで徒歩10分、のはずでしたがえらい目に・・・。
同じ通りでも”1a,1b,1c,1d,1e”と続き、大使館がある”42e”に着いたのは12時1分!
無情にも昼休みかと思いきや、日本人がまだ2名並んでいる!
ならやっちゃえ!と12時20分に申請書を提出し、明日9時渡しになったのです。
そこで助っ人が!
2名のうち”ベルリン留学8カ月”の方が”急いでくれ!~’(%”>#!!!”とドイツ語で交渉してくれた結果、なんと!!5分後に発行してもらい、しかもワイロの30AS・オーストリアシリング・430円は「いらない(*窓口)」。
留学生の彼には感謝するばかりでしたが、それにしてもなぜ窓口が動いてくれたのか?
日本人だから??
最後までわからずじまいでした。
通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約12~14.4円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
(ウィーン日本大使館)
夕方。
マスターが日本人、ウェイトレスが韓国人の”日韓料理店”で酢豚(76AS・オーストリアシリング・900円)を食べれば、野菜と稀少な”ごはん(白米)”はおかわり自由で久々に満腹になることができました。
他のメニューはこんな(↓↓)感じでした。
・寿司 95AS・オーストリアシリング・1300円
・刺身 135AS・オーストリアシリング・1900円
・すき焼き 105AS・オーストリアシリング・1500円
・焼きそば や うどん類 70AS・オーストリアシリング・1000円
・ビール 20AS・オーストリアシリング・280円
現地の日本料理店は中国料理店と並び、往来の多い英仏独伊西等の主要大都市やここウィーンのような場所でたまに見かけると喜ぶくらい”まだまだ少ない時代”。
ほとんどパン生活の道中にご飯を食す機会があれば、それはそれはいたくおいしく感じたものでした。
繁華街を夕暮れ散歩した後、トラムでウィーン西駅に戻った時はすでに21時半。
”東欧の玄関口(*距離が近い)できっと何か独特な雰囲気がある?”という期待は勝手なる思い込みだったのかもしれません。
まだあまり見ぬ大都市(人口は1990年で138万人)になんとなくスッキリしない、今一つの自分。
まあそれでもよしなのは、ポーランドとチェコスロバキア訪問後の再訪でじっくり見て回る計画があるからでした。
今夜も22時発の夜行列車。
それは何度目かの西行でしたが、鉄道ファンはまったく気にならず・・・。
大聖堂や教会は日本の寺社と同じように各国そこかしこで見かけるので、このころには外観チェックで済ます程度になっていました。
また初期に英国でたくさん訪れた、国営で無料の美術館や博物館のおかげもあるでしょうか。
この国では、二度と周遊できない”最初で最後の訪問”を鉄道周遊パスを使い思う存分楽しむことを最優先したのです(*ウィーン再訪を除く)。
(ウィーンのお寿司屋さん)
(マクドナルド)
つづく