三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の鉄道旅 山陰 京都、兵庫、鳥取、島根県 1970年代・80年代 国鉄 周遊券 No.418

今から4,50年前の1970年代後半から80年代前半(昭和50年代)。

JRに分割民営化される前の国鉄日本国有鉄道)。

新幹線は東海道と山陽(東北は82年開業)のみで、昼夜を問わず特急/急行が全国を網羅していました。

そんな国鉄が発行していた「周遊券」を利用した旅ができたことはとても幸せなことでした。

 

1979年、冬休みを利用して17泊18日で訪れた山陰・鳥取島根県の旅は・・・。

「山陰ワイド周遊券20日間有効」は「エリア」までの往復を含め急行まで乗り放題・

途中下車OK。

今はJR各社がエリア内乗り放題の切符を発売することもあるようですが、それは新幹線を含めた金額(3日間で2万円ちょっと等)です。

「往復乗車券よりも安い周遊券」は鉄道ファンには思う存分乗れる、ありがたい存在でした。

 

現地までの往復は変化に富ませ

・電化区間東北本線ディーゼル急行(10両編成)乗り継ぎで上野まで

・都電は90円

・東京発大垣行き普通夜行列車は西行きの定番でした(この時週末は乗車率100%越え)

・大阪から姫路(兵庫県)まで山陽本線は、かっ飛ばすディーゼル急行(鳥取行)で

・ちょっと寄り道、「宇高連絡船(宇野~高松)・讃岐丸」も100%

 

(降りた駅は主要駅と黒字で、乗ったところは赤い丸で示しています)

山陰の場合、移動はわかりやすく、京都~下関間の山陰本線を中心に。

周遊区間が東西に伸び、「周遊」というよりは東西を行ったり来たり・・・そのため山陽と山陰を結ぶ幾つかの線(区間外で往復時か別料金)は乗りそびれてしまいました。

ワイド周遊券ならではの「長距離・広範囲の周遊区間」を生かし、「往復夜行列車+区間内夜行列車」を多用し、ユースホステルは半分強で済ます方法です。

 

急行(一部特急)列車名は

★鳥「ちどり」★地名・地方・川・山「あがの(阿賀野・新潟)」と「いいで(飯豊・山形)」(東北本線)、「みまさか(美作)」と「雲仙・西海」と「阿蘇・くにさき(国東)」(山陽本線)「さんべ(三瓶)」「石見(いわみ)」「ながと(長門)」「さきゅう(砂丘)」「山陰」「大社(たいしゃ)」「だいせん(大山)」「丹後」「かすが(春日)」(関西本線)★「やまのゆ」「白兎(はくと)」など

非電化区間のローカル線には多くのディーゼル急行がありました。

「車内改札」はあたりまえ。

「ホームや車内で急行券を回収」することも・・・。

ディーゼルカーディーゼル機関車がけん引する客車(まれに貨車も連結)の普通列車は、この時すでに朝晩を除けば0%~50%の乗車率でした。

手書きの「鉄道概況」によれば、ほとんど非電化単線で複線区間は60キロあまり。

・山陰では「とある駅構内をまたいで」文通相手(今ならメル友)の実家に泊まり(父親同士が同じ”○○省”)

米子城跡はだだっ広く、視界開けてのんびり街を高みの見物

・山間部(木次・きすき線/出雲坂根)はスイッチバック(170mの高低差を三段で行きつ戻りつ進む)の案内放送が・・

・今の乗車率ワースト山間区間は40年前からすでに0%(かそれに近い)

鳥取周辺のみスラブ軌道(砕石の上ではなくコンクリートの上にレールを敷く)

・先ごろ合併する小学校名で紛糾した「鳥取県倉吉市の倉吉線(その後廃線)は3本とも0~5%の乗車率

伯耆大山(ほうきだいせん)を回り込むように通る伯備(はくび)線は雄大な景色・いいながめ

・(バスで行く)鳥取砂丘は今のような人出でなく(今はしてはいけない)「文字」を書いた記憶が・・

・大晦日の深夜、お寺さんで百八つのうち二つの鐘をつく(つきおわったら、あずきを二粒隣の皿に移す)

(現在、山陰本線は「名ばかり本線(一部区間)」か?という指摘が・・・「沿線協議会(園部~綾部)」も発足した模様・・・)

当時の物価は、

電話代30円、姫路駅そば170円、割子(わりこ)蕎麦400円、ラーメン250円、牛乳48円、元祖かにめし600円・ちらし寿司300円、洗髪不可のユースホステル代2250円、(小泉)八雲記念館160円など。

1979年(昭和54年)の平均年収は273万円。

2019年(令和元年)の平均年収436万円の約64%(今なら1.55倍)でした。

「18日間の旅」でかかった費用は、周遊券14700円、切符代、(カメラの)フィルム代、宿泊代(10泊)22300円、飲食代9000円、お土産代2000円を含めて58000円で令和なら90000円。

安いと感じるか、その金額があったら他に回すかはひとそれぞれです。