三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 111 夜行列車は通勤列車 オーストリア No.602

格安車検で訪れた隣県で1590万円の新築建売住宅(2階建て/4戸分譲の最後の物件)を見つけ安さに驚く、へき地県境民です。

東北線の駅とイオンが徒歩圏、国道4号線そばの立地でなぜ、、、

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月17日(木)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在15日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

昨夜、オーストリア第二の都市グラーツ(地図↑↑・右下)から夜行列車でウィーン南駅に向かえば、それは今や乗り慣れてしまったウィーン西駅~インスブルックの列車とは明らかに一線を画すものでした。

 

(便せんメモより)「昨夜はすごかった。開放型(4人掛けボックス席)の車両が二つに何両もの貨車が連結され、なんとその中にはヤギも乗っていた」

人とペットではない動物が一緒の列車・・日本では見られない合理的?なやり方です。

また、日本ならあまりない「深夜にも関わらず昼間のように停車し、途中下車する乗客が多い」のは不思議そのものでした。

 

イスが引き出せる(*寝やすい)座席手元のスイッチで照明を豆球だけにできる夜行仕様?”の車内はとても便利ですぐ寝入り・・・ハッ!と目が覚めた4時、隣に人がいてもまだ寝れる・・・・・。

 

5時前。

すくっと立ち上がれば隣は二人、つまり4人ボックス席に3人がいる!

さらに周りにはたくさんの通勤客が立っている!!!

 

まだ5時前です。

 

慌ててイスを戻し一人分の座席に収まるバックパッカーでした。

 

(メモより)「何も言われなかったのはなぜだろう?」

オーストリア人たちはアジア人バックパッカーに”寛容”だったからなのでしょうか?

 

5時6分、終点ウィーン南駅到着でぞろぞろ降りる乗客に、この国の”朝早い通勤”を知るのでした(*その分終業も早い)。

夜明け(*明るくなる)が早朝ならば早いうちに動く”はこれまた確かに合理的だと思いました。

 

合わせるように、駅の売店・アルコールコーナー・軽食コーナー5時半開店・・。

 

前回、東方のチェコスロバキアチェコスロバキア)国境近くまで往復したので、今日はハンガリーとの国境沿いを南下することにしました。

ウィーン中心部から6㎞の郊外で”1日5本のローカル線”に乗れば、東行と同じで平地が広がる沿線いっぱいに麦畑が広がっていました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOu1men3JNQacpJCwe8OelLZLSj5BmXCbQPmV6r=w408-h258-k-no

(沿線)

途中駅での”40分間停車”は疲れもあり、(メモより)「全部寝て過ごす」

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMzQv3fCrAbEB7UMunJ76xT0X7-1GNwA8VhpUma=w507-h240-k-no

(平地が多い ウィーン東部と南部)

 

途中、国境駅があり枝線が4つもあったにもかかわらず、すべて接続が芳(かんば)しくなく”乗る(乗り換える)”ことはできませんでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOsUmVTRMb7BxBvYupO44WNrisG0a2ezUpbnX0J=w408-h544-k-no

(途中の町)

なんだかんだでお昼過ぎ、昨夜の夜行列車乗車駅グラーツへ到着する、”筋金入り鉄道バカ”(*今なら”乗り鉄”)。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOQOrj6X4ejCpt9qv8VjyIxCgMKvhzyGNXDu_0Q=w408-h544-k-no

グラーツ

グラーツオーストリアの人口第2の都市でシュタイアーマルク州の州都。人口約29万人。

中心部は世界遺産の街です。

 

調べてみるとこの街にもユースホステルはありましたが、大都市(*他の国内都市と比較して)ゆえ市中心部は駅から遠く、ユースホステルもその例外ではありませんでした。

ならばせめてと探して、やっと見つけたスーパーはなんと!”12時から3時半まで休み!!”で買えない・・・。

休みは、あの夜行列車で見た”早朝から仕事(*早朝出勤)”が影響していたのでしょうか?

 

何はともあれ、本日のねぐら(宿)を探して本線に乗れば予定外の駅でスーパー(チェーン店)を見つけ(*すぐ降りる)、幸いにも食料を確保することができました。

そして、目指すユースホステル5日前に泊まった山の中のブルック・アン・デア・ムーアという町。

 

17時半。

一抹の不安を抱えたまま駅に降り立てば、これまた幸いユースホステル一番乗りすることができました。

 

小型本「ユースホステルガイド(*地図はない)」の名称と住所・電話番号で宿探しをしてから38年。

今ならさしづめ、グーグルマップ等ですぐにでも出来てしまいそうです。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMYcIMUe6_buliS9ArWmI1zOYb903VeYaa65gpL=w426-h240-k-no

(5日前にも泊まった ユースホステルのある ブルック・アン・デア・ムーア)

”今日は少ないか?”という予想は外れ、この後次々と訪れる宿泊者たち。

その中に初めて”フランス人の団体さん”を見ました。

誇り高き彼らは進んで英語を学ぼうとしない?影響もあってか交流は進まず、今だフランス人の個人旅行者には会っていませんでした。

その他にはドイツ語圏の団体さん(*ドイツかオーストリア)・・。

 

(メモより)「小さいユースホステルが団体さんで埋まるとたいへん」

「こういう時は早寝に限る」

ちょうど旅の疲れも相まって食後すぐ・・・就寝も一番乗りでした。

 

## 問題 ##

・冷房無しの列車では湿度が低く汗をかきづらいせいか”窓を開けない”人が多く暑い!

・定期券利用の地元の方々は”写真付証明書”を持参している(*これは他国でも/検札時に本人であることを証明するため)

・この国でもタバコをねだられる(*いかに貧乏バックパッカーでも)

 

 つづく