三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 106 周遊パスで南へ西へ 控えめがいいのか? オーストリア No.597

(X.旧ツイッターより)

End Wokenssさん投稿による「米国・サンフランシスコの閉店マップ」を見て、もし今後海外旅行の機会があっても未訪問国アメリカは遠慮する?かもしれない、へき地県境民です。

連日メジャーリーグの華やかな試合が映る国ですが、、、

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月13日(日)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在11日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

山国の山の中、ブルック・アン・デア・ムーア(地図↑↑・右・グラーツの”グ”の左)という小さな町のユースホステルで迎えた静かな朝。

 

昨夜、管理人のおばさんの友人数人が来て、そのうちの一人がアコーディオンオーストリアの曲を演奏したりして楽しい時間を過ごすことができました。

また、朝食でおいしいパンにゆで卵と自家製ラズベリージャムが食べられたのも二重丸でした。

 

9時57分。

名残惜しくも隣国ローマ(テルミニ駅)行に乗ったのは、国境近くのローカル線起点駅フィラハ(地図↑↑・中央下)を訪れるためでした。

(便せんメモより)「この線も自然がいっぱい、途中原生林かと思うばかりの”人間の作り出したものが何もない”景色が山に沿って続く」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOmQZgGg5auqM5qllyyiatxANVOfFWOC3-mbh9E=w408-h544-k-no

(沿線)

 

山岳路線ゆえのスローさで2時間40分かかったお昼過ぎ、国境近くの街フィラハに着きました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMJxnVxEL_EjvWjDNZjil1ReFVpFttQho3-CaSa=w408-h306-k-no

(南部・国境近くの街 フィラハ)

 

駅に停まっていたのは、ディーゼル機関車とけん引する3両の客車。

本日は(も?)周遊パスで気軽に南へ西へ・・・。

 

目的のローカル線がここから国境に沿って一直線に西へ伸びている(地図)のは、乗ってみてそのわけがよくわかりました。

(メモより)「ガラガラの列車は両側を山に挟まれた比較的広い平地をゆっくり進む 左の山々を越えればイタリア」

 

日曜の沿線にはおなじみの”組み合わせ”湖にキャンプ場”、そしてそこに集う人人と車たち。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNe-vWJhxw7TvNWbeH4GPv1uTg9WTQj3eTtecfp=w426-h240-k-no

(沿線の湖)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOnXZqd9RDzeixd22eO_0d9LmGwhbWFrnn-AvCM=w408-h291-k-no

(ローカル線 沿線)

2時間かかった終点は行き止り駅で、一山超えた10㎞先の駅まで、終バスは13時台で現在は14時台・・・戻るしかありませんでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPclGViQ4yuMUbxpa2PcLvS51DCf4lsQ7thJY0s=w408-h306-k-no

ローカル線 終点 ケチャハ  ↑↑・↓↓

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOZiH7jpLKaYEFItYGUbA0RTN3rbbSLL0K0jwVz=w532-h240-k-no

(ゴンドラ/リフトも複数あり ウィンターリゾート地はいい眺めです)

 

(メモより)「車掌が何か文句を言って行った」ようでしたが、周遊パスとんぼ返りでももちろん有効です(*以前ダメと言われたイタリアに越境もしていません)。

 

折り返しの列車はさすが日曜日、2時間の間に少しずつ乗客を乗せていき、やがて4分の3ほどまで座席が埋まりました。

 

17時。

再び国境近くの街フィラハから乗ったドイツ行急行。

同じ所要時間2時間でも移動距離が先ほどの60キロに対し今度は200キロ以上・・。

 

(メモより)「この区間もすごかった 山の中腹を列車は進み、はるか眼下に家々を望む 遠くに続く山並みと道路」

大自然の中に時折ポツンとある駅は誰が利用するのか・・」

 

なんと!、トンネル手前の駅から車は列車に乗る(*道がない)のです。

他の路線も料金所”があるので同じようでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipM79b5wcRHYZkxGVB_HnBXExFcIOGfewcIK6c1E=w408-h496-k-no

(春、雪解け水が勢いよく流れそうな沿線)

 

トンネルを抜ければ下り坂。

時折見える家々の窓辺には色とりどりの花が並び、優雅に感じるバックパッカーでしたが、後で”花を飾ることが決められている”とも聞きました。

建物も自然も地味な印象のオーストリアでしたが、その”控えめ”を”落ち着き”ととらえ好感したのは事実です。

 

雪の季節はどんな感じなのか・・・。

意外と少ない”無人”に”ソリ”が立てかけられていました。

 

20時。

乗り換えて降りた駅が2度目なら、”土地勘”を利用してマクドナルドへ直行することは可能でした。

フライドポテト(M) 13AS・オーストリアシリング・180円 はウィーンで14.1AS・205円で、初めて”地域差”があることを知りました(*差は日本でも)。

 

通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約14.4円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

夜行列車と言えばインスブルック(というほど乗り降りする)になってしまい、今夜も向かえば、来た列車はなんと!名前だけ2等車の”もと1等車!!

開放型(*日本にある)はリクライニング付で座席配置は横にイスが3つ(3列)。

やけにゆったりしていると思えばその差は、

オーストリア レール幅1435㎜ 3列 定員:禁煙36名・喫煙24名 

・日本         1067㎜ 4列(*新幹線を除く)

 

当時、「東海道線横須賀線グリーン車はリクライニングなし(*1986年のことです)」だったことを思い出しました。

(メモより)「まさに大名気分 (1等車まで乗れる)ユーレイルパスを持たない分しっかり乗っておかないと」

そのユーレイルパスは米国で買えば日本より安く、当時切符のたぐいは日本が円高の割に割高だったようです。

 

 ## ない・ある・なんだ? ##

 

・どの駅にも街角にも”灰皿”がない! 女性もポイ!ポイ!

・どの駅(大中規模)のトイレにもある!

 男女が抱き合っている写真のスキン(コンドーム)販売機

 説明書付1~4個入り20~30でAS・オーストリアシリング・290~430円

・ウィーン7時発のコンパートメント(6人掛け)ではカーテンを閉めて寝る輩(やから)が多く、親切な元ホテルマンはモーニングコールをドンドン!(*トントンではない)・・・一日一善〜

 

 つづく