三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 104 山国の山の中 私鉄は元気 オーストリア No.595

スーパーの野菜売場で「1つの値札(売場)」で2種類あった小松菜を買いセルフレジでスキャンしたら「重さが違います!」という反応(★音声)に、やって来た係員のお姉さまに説明するはめになったへき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月11日(金)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在9日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

7月中旬、ヨーロッパはバカンスシーズン

そこで夏が来たと思い込んだのは間違いだったのか、かろうじて保っていた曇り空から無情にもシャワーをくらう”肌寒い”朝。

それなのに、休養明け(*連泊)の元気な体でユースホステルからザルツブルク駅(地図↑↑・中央)までバス代惜しさに35分歩いてしまいました。

 

9時25分。

南東のグラーツ(地図↑↑・右下)行急行に乗るも、機関車が客車をけん引することが多いヨーロッパにあって珍しい電車でした(*日本の、特に都市部ではごく普通のことですが)。

車窓に流れる雄大な自然を横目に本日の計画を練り、2時間後に降りたところ(地図↑↑・オーストリアの”ト”のあたり)写真↓↓の山のまた山。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPkFY0nzpjEm94IkcAzE1rWlZieXgI6-VJLFW_m=w408-h306-k-no

(シュタイナッハ イルドニング)

 

便せんメモでは「ここから乗った山岳線はすごかった」

電気機関車が荷物車半分の2等車2両を引っ張り、左右にくねくねさせながら山を登って行く」

「左右に湖とそそり立つ山山」

「まわりは全て自然のみで、湖畔も静かで”けばけばしさ”はまったくない」

そこは”観光一色・(今で言う)インバウンドのお客さんいらっしゃい”とは無縁の世界でした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPOaYbK48QsXtOSUL8eF_DYKy6e5gcXYAGiH4At=w426-h240-k-no

(ローカル線 沿線)

 

ローカル線はここが一番か?と思いながらも””がある鉄道旅。

北へ幹線を乗り換えることさらに2時間以上で”2本の変わったローカル線”の起点駅へ(写真↓↓)到着した時はすでに15時でした。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMH3-Fr305nL3yHBs3VlA1q31yemI4S71BnxF0T=w426-h240-k-no

(2本の変わったローカル線の起点駅 ラムバッハ ここもホームは低い)

 

・ひとつは1日4本、丸い(*古い)2両のディーゼルカー

・もうひとつは線路幅1045㎜(*日本は1067㎜)のトラム(チンチン電車

 

16時。

時間の都合で南方面行きのトラムに乗れば”大当たり!”。

(メモより)「メーターは最高80㎞/h」(*低い!)「けど加速はいい」

「くねくねの道は1両で走るためか」

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPtqHqHXf7uOdqIBsaGk79OwVF_lw33htkbskgu=w408-h544-k-no

(沿線にある小さなチャペル)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMJKc_fFP1d-zwSoUVp1nqGnhnY2XUwHrBC6AZl=w408-h306-k-no

(沿線の無人駅 野菜の無人販売所みたい)

なにせ”鹿ちゃんマーク”の標識通りシカは線路に現れるは、野ウサギは飛び跳ねるは、信号機のついた踏切は1か所だけで、その他の場所で”ファンファン~プープー!言う(*警笛)のが楽しい~。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNoK5If-v2Ky0ABCZfGhkg07JSWuTTiv9J7ZI0=w408-h272-k-no

(沿線の無人駅と1両のレトロな電車)

 

20分ほどで終点フォルヒドルフ到着も、さらにこの先狭軌(1067㎜)の私鉄が・・・。

残念ながら時間が許さず、南西に延びる線路をみておしまいでした。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOpQw75mev4MwjuwlxgMFQ-k0VLCHeL37TtJs1k=w408-h544-k-no

(終点 フォルヒドルフ 現在のトラム オーストリアの車両は国旗と同じ赤白色が多い)

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipO8qt3K22QgwC1uZ0QJxGeZHi2c2OsZwcj8jf8=w408-h270-k-no

(乗れなかった 狭軌の私鉄 紅白はオーストリア色)

 

今回足跡をたどっていく中で驚くのは、本日の二つに限らず、かなりのローカル線が現在も残っている(*営業中)ことでした。

これはお隣スイスにも同じことが言えます。

日本が国鉄時代にローカル線を”清算廃線”、JRになった後も”清算”、そして今後人口と利用者減少で”清算”の暗いニュースが加速しそうな状況とは偉い違いです。

 

車社会の現在でもたくさんの路線が残っていることから、国策として道路と同等に鉄路を守っているのかもしれません。

 

1時間ほどの滞在中、雨にも負けずちょっとだけ車庫をのぞいてみましたが、現地の人は何も言いません。

(メモより)「なんと!戦前からの車両がいろいろある!!」

・(一例)32人乗り(*少ない!)長さ11m(*通常の半分)の1両の電車

・40人乗り(少ない!)長さ12m 1925年(61年前・昭和元年)の1両の電車

・市電型 長さ17m

・客車(*電車に連結する)長さ14.5m

・廃車になった 長さ10.5mの1両の電車

それでいていずれも木造でレール幅が広い1435㎜(*日本の新幹線と同じ標準軌)とは・・。

 

「土砂降りの雨も忘れしばし楽しんでしまった」後は起点駅ラムバッハまで戻り、18時、西方オーストリア第三の都市リンツ(地図↑↑・中央上)経由でウィーンまで向かいました。

 

(メモより)「急行の割にはよく停まり(*快速のよう)、遅れ、乗客はどんどん増すは、向かいのアベック(カップル)はいちゃつくは、で急きょリンツで乗り換えた」

これが大正解だったのは、ハンブルク(西ドイツ北方)発のI.C(インターシティ・国際列車)に乗れたことでした。

 

西ドイツ編成の列車は時速200㎞に耐えられる構造で座席は最新式(コンパートメント/6人用個室の方は従来のもの)。

さすが揺れも少なく乗り心地抜群!

あっさりと5分の遅れも取り戻し、122㎞/h(*1時間に進んだ距離)と速い表定速度は、途中でさっきまで乗っていたウィーンに先に着くはずの”遅延列車”を追い抜いてしまったのです。

6.9AS・オーストリアシリング・100円で500mlのビールを飲めばうとうと、あっという間の2時間でした(20時44分・ウィーン西駅着)。

 

通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約14.4円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

このあと乗る夜行列車は3度目ともなればだいぶ慣れてしまいました。

乗り込んで座席を確保した後は寝るだけです。

オーストリアユースホステルが少なく見つけにくい・見つけてもバカンスシーズンで満員、それでいて周遊パスがあるとくれば夜行列車の利用頻度は予想外に増していくばかりでした。

そして予想外に増すは"疲れ"も、、、。

 つづく