三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 17 西ドイツ国境の町から ちょこっと隣国 オランダ アムステルダム 欧州 No.508

お盆に首都圏の私鉄電車に乗れば、19時にして床におう吐物があることに驚く、へき地県境民です(酒酔なのか車酔いなのか・・)。

駅のホームなら駅員さんに知らせますが、運行中のワンマン電車は終点まで知らせる術はありません。

 

今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

4月17日(木)

西ドイツ西部、国境の町の友人宅に荷物を置いて、1週間の隣国オランダ訪問初日。

 

国境の町から車(バス)で40分の街アーヘン(地図”ケルン”の左あたり)はオランダ・ベルギーと国境を接しています。

1両のディーゼルカーは車内が「2等禁煙/1等/2等喫煙」と分かれていて、”いつとはなしに”オランダへ・・・(国境表示は見当たりません)。

”条約”の名前がついた街、Maastricht(マーストリヒト)まで40㎞・40分・8.8DM(=700円)と周遊券等”乗り放題券”を使わないと運賃がかさんでいきます。

 

沿線の風景は似たようでも街は建物が平屋と2階建てで、”(滞在場所のような)レンガ造り4階建てのドイツの家 ”はまったく見られません。

街の半分以上をベルギーに囲まれていても、

(メモの便せんより)「運河のある”川運の都”はひと味違う」

(いったい何が違ったのか・・・)

 

(両替する持参したアメリカドルと当該国との相場により上下はありますが)

通貨単位はFr/オランダギルダー(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1Fr=約78円

”円”はまだまだ”取り扱いがなく両替できない/しないほうがいい(=レートが良くない)国が多数あった”時代。

手数料を考えると”少額の両替”はできれば控えたいところです。

気を付けないと、今でも「5000円の両替に500円〜(10%〜)の手数料」は存在します。

 

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。

 

街でさっそく”スーパーチェック”すれば、

・マーガリン250g 0.69Fr(オランダギルダー=55円)

・安価な缶ビール350ml 55円

・パン1斤 0.99Fr(=78円)

でしたが、野菜・果物はベルギーや西ドイツより高めでした。

 

オランダにも便利な周遊券がありましたが、購入には”オランダ国鉄の発行する証明書”が必要で、証明書の発行にはパスポートと何枚か持参した顔写真が有効でした。

7日間有効の”7Days Rover Ticket”は108Fr(ギルダー=8100円)でしたが、

「”九州ほどの土地(面積)”なので、1日はローカル線を入れないと元が取れない?」

ちなみに、現在国内では似たようなものに、JR北海道JR東日本第三セクター普通列車が、連続する7日間乗り放題になる「北海道・東日本パス(価格は大人1万1330円、小児5660円)」があり、主に邦人向けです。

 

「お昼過ぎ(*ということは昼ご飯は上記スーパーの3点他だったか・・)、”30分おき”のI.C(インターシティ・国際優等列車)に乗って一路首都アムステルダムへ」

列車はベルギーと違い、時速120㎞ほどの(優等列車にしては)”低速”でなだらかな丘に戯(たわむ)れる羊たちを見ながら進みます。

 

***オランダ国鉄・乗ってみて感じたこと***

・25m幅の車両(新幹線と同じ)は他国と変わりはないけれど、運転技術が高い

・停車や発車時の”揺れ”がまずない

・線路の継ぎ目の衝撃を感じない

・停まり方(ホームの使い方):”1a.1bや2a,2b”など”1本のホームを二つに分けて使う(右の車線から左の車を追い越し左車線に入るように、右の線路から左の列車が停まる前の線路に入る)が多い

 

「途中から乗ってきた女性と話しをしたら、帰り間際に住所を書いた紙を渡された」(「よく意味が分からん(当時)」などと思わずに後日行けばいいのに、と思うのは今だから?/当然リスクあり)

2時間ほどして、ようやく列車は終点アムステルダム中央駅に近づき、”自転車が積めるステンレス車体の近郊電車が姿を現しました。

と同時に”建物に落書き”が目立ち始め、大都市を実感すれば終点です。

 

オランダはヨーロッパ北西部にあり、運河、チューリップ畑、風車、自転車専用道路で知られる低地の国です。首都アムステルダムには国立美術館、ヴァン・ゴッホ美術館、「アンネの日記」で知られるユダヤ人のアンネ・フランク第二次世界大戦中に身を隠した家などがあります。運河沿いの邸宅や 17 世紀の黄金時代を代表するレンブラントフェルメールの作品の宝庫としても知られています(グーグルマップより)。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNcLwaGtXjvUYkTxSy6Gt7bflYonGcpu2w-6iSQ=w408-h306-k-no

(グーグルマップより)

「駅から何から実に汚い。英語の通じる国。港国」・・・当時はふと行ったこともないアメリカを連想したようです。

雑踏の中、”I”マークの案内所(インフォメーション・この国では”V.V.V")でトラム(市電)地図と15枚券(回数券)8.45Fr(ギルダー=680円)を購入しましたが、”ゾーン制”で最低2枚が必要とは・・・。

 

駅からだいぶ離れた、ユースホステルではない”クリスチャンユースホステル”に向かう途中、運河の路地に見えたのは「飾り窓(レッドライト)地区」。

このあたりはいわゆる売春宿が集う場所です(*この国で売春は合法です)。

公認の公務員のお姉さんたちが”ガラス窓からアピールして値段交渉を行う”形態で、たくさんの観光客が訪れています。

イスに座っているお姉さん方は「大柄・年増の方が多い(*あくまで印象です)」

 

やっとたどり着いた”ユースホステル(公認)ではないユースホステル”は朝食付きで13.5Fr (=1050円・・・安い)。

ヨーロッパのユースホステルや素泊り宿の料金はおしなべて高くはないので助かりましたが、それが”西側のこと”だと知ったのはだいぶ後、後日東側を訪問した時のことでした。

「受付でなぜか聖書のすすめ(日本版)をもらう」

南アフリカ人(宿泊者)に「夜の一人歩きは”ナイフつきつけられ金品を取られる”」と言われ、二人なら飾り窓の見物もいいかと思いつつもおとなしくして・・・。

白人黒人、いろいろな国の人が行き交い、何やら魅惑漂う港町、、、。

 

 つづく