三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 93 スイス一の大都会 チューリッヒを歩き回る 欧州 No.584

近くにある大理石海岸の完成した防潮堤を見て、自分がいた小学校の学区の境にあった刑務所の高い塀を思い浮かべてしまう、へき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月1日(火)

フランスから越境しスイス滞在12日目

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

この日はチューリッヒ近郊、湖に面した町ツーク(地図↓↓・中央下)からいよいよスイス一の都会チューリッヒへ。

 

microsoft Copilot より

1986年7月には以下のような出来事がありました:

また、この月には以下のような流行や話題もありました:

 

(便せんメモより)「4か月目の旅で5本目のボールペンは亀裂が入ったのちに折れてしまい”芯のみ”で書いている」

 

7月に入りだいぶ暑さを感じながらも温度は25から30度湿度35から50%しのぎやすさが”重い荷物をしょったバックパッカー”に味方してくれます。

 

9時36分、ツークを出た列車は次の湖”チューリッヒ”を目指し進みます。

ものの15分で見えた次の湖は今までと違い”湖岸に家並み”がたくさんありました。

それは大きな街が近づいてきた予感・・・・・。

 

しばらく進むとやがて家並みがますます増え、チューリッヒ市内に入り”チューリッヒ○○○○○○”という駅が3つ続いたあと、行き止り駅/終点”チューリッヒ中央駅”に着いたのは10時14分のことでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPO1cdVkTwbDJ56mONG7m8q3Q3wB5hRMXVTdS2g=w408-h306-k-no

(行き止まりのチューリッヒ中央駅)

 

駅に荷物を預け(2スイスフラン・200円)、身軽になったところで”日本人向け旅の連絡所”的な施設まで歩くこと50分(*はたして何の情報を得たのか・・・)。

 

通貨単位はスイスフランで1フラン=約92.5~100円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

用事を済ませたあと湖を目指し”適当に”足を進めたら、得意の方向オンチを発揮し90度、時に反対方向を進むこと1時間半。

40分のロスタイムでやっと湖面が見えてきた!

(メモより)「湖はこれまた人・とたくさんの種類の観光船

 

(2019年6月のチューリッヒの記事が下二つです)

koppasan.hatenablog.com

koppasan.hatenablog.com

 

スイス一の約44万と都市圏で200万の人口がある、広くて多きな街の中心部のあちこちを”車両を連結したトラム(市電)”が芋虫のようにゆっくりくねくね動き回っていました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipP28dyerkgsbs2MG2qQa7pyy0mcAdrBuA9ENjhz=w452-h240-k-no

チューリッヒ

チューリッヒは銀行・金融の世界的な中心地で、スイス北部にあるチューリッヒ湖の北端に位置しています。中央部にあるアルトシュタット(旧市街)はリマト川(写真↑↑)の両側に広がり、その美しい小道には中世以前にさかのぼる歴史が反映されていて、リマト通りをはじめとする川沿いの遊歩道は、17 世紀に建てられた市庁舎まで続いています(写真↑↑)

 

(メモより)「道は長い長い! 歩いているだけであっという間の16時かな」

 

ユースホステルは”いも虫トラム”と架線から電気を摂る”トロリーバス(*今はない)”を中心部から乗り継ぐこと約3㎞。

 

「今日もスイスフランの価値が上がり、1米ドル・1.83フランから1.74フランで手持ちはぎりぎり 残り約5000円」

この価値38年たった今も変わらず、大きく変わった(下がった)のは我らが日本円・・。

 

入国後、たくさんの自然あふれる景色を見てきました。

一筆書きであちこち見逃しはありましたが、”もうこのあたりでちょうどいい”物価高国でした。

また、観光地のスイス国民はだいぶ観光客慣れしている感じで、”民度”もだいぶ高そうでした。

今後の日本がインバウンドで稼ぐために目指すべき道・お手本なのかもしれません。

 

ユースホステルは15フラン・1500円で朝食とシーツ込でした。

ただし、”台所使用料(いるだけで)・10分1フラン・100円”にあわわ!しつつ明日も移動日。

 

圏央にいる同郷の親友に手紙をしたためながらふと頭に浮かんだ、

「この手紙が着くころ、日本は梅雨明けか?」

 

梅雨のないこちらは旅にも有利でしたが、はたして作物は大丈夫なのだろうか?

「この国に来て毎日”雨なし” こりゃまた不気味だ」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipN1K1iQzCvzH_-sYUGxTAsW5SB45YSOUy2t8lA=w426-h240-k-no

(今もユースホステルのあるチューリッヒ湖岸 中心部から3㎞離れた住宅地)

 

ユースホステルは今も営業中。

調べてみると、当時1500円が現在一人だと6ベットのドミトリー(大部屋)で8211円(素泊り)、4ベットのドミトリーで9238円、シングル17106円とは・・・(*変動します)。

この差に”何も言えねえ~”というのはまさにこのことかもしれません。

 

 つづく

チューリッヒユースホステル 宿泊スタンプ)

 

 

 

 

 

沿岸部の新聞/地元紙 他紙との違い 漁港 港町 三陸沿岸 No.583‐A

 

新聞を購読していない自分が図書館や病院を訪れた際、必ずと言っていいほど読むのが新聞です。

この地には全国紙や地方紙に混じって、地方紙の中でも地域紙があります。

三陸沿岸のニュースが中心で、隣県の三陸沿岸にも新聞社があります。

隣県は内陸部にも複数新聞社があり読むのが楽しみになる、さすが面積日本一の県です。

 

地域密着のニュースから始まり、訃報広告・休業・イベント案内が紙面を飾る中、大きな特徴は何と言っても「漁業通信」です。

漁業通信とは漁船の航行や操業の安全を図り、操業能率の向上に寄与する目的で行う無線通信。 漁場の気象、海象、操業状況を伝え、操業上の打合せなどを行う。 漁業用海岸局と漁船の船舶局とによって運用され、海岸局と船舶局の相互間の通信を無線電信および無線電話によって行う。

 

隣県と本県の漁業無線局(海岸局)と魚船の漁業無線局(船舶局)とのやり取りで、地元の港所属の「漁船がどこにいるのか・どんな状態か(何をしているのか)」が列挙してあります。

 

それは、内陸部に長く住み漁業にうとい自分の知らない世界。

初めて目にした時は何10隻もの船の具合がわかり告知されすごい!と思ったものです。

 

この日の漁船の種類は以下の通りでした。

「電信船(持ち運び式の電話装置)」が

・マグロはえなわ(延縄・はえ縄)

・まきあみ(巻き網)

・カツオ

トロール

 

「電話船(船舶搭載の電話装置)」が

・マグロはえなわ

 

種類別に漁船名と内容が列挙してあり、主なものはこんな感じでした。

中にはエッ!と驚かされるものも・・・。

 

「第43○○丸(例) 操業中」これが一番多かったです

「第12○○丸(例) シャチで入れず適水中」・・・あのシャチのこと?

”適水中”を調べると、”水道水の水質基準に適合する”と”Windows Copilot”で出てきましたが、どうも意味が違うようです

 

以下船名省略

ケープタウン」アフリカ大陸南端の街に滞在中?それとも航行中? 

「260回目 操業中」・・・260回も!連続で??

「帰港中」

「ベノア発」インドネシア・バリ島の一エリア

「入れず」・・・入港できない?それとも漁場に入れない?

「南下中」

「調整中」入港の?操業の?

「凪(なぎ)悪く入れず」

「漁場着漂泊中」

「調査中・水・28.0」何を調査?曜日?水温?

 

日本近海では広範囲で通じる(*品質は不明です)携帯電話に対して遠洋漁業では無線通信が主のようですが、昨年、割高な衛星通信に使い放題サービスも登場したようです。

 

そのため、何か月か(も)遠出して操業する船を見守る(実際は見れませんが)家族や関係者の方々がどれだけ新聞を利用しているかは不明なので、今度聞いてみようと思います。

 

(漁港の過去記事です)

 

 

 

 

 

 

 

昭和の東西ヨーロッパ行 92 数あるケーブルカーに乗り スイス 欧州 No.583

(隣県 名勝高田の松原 震災遺構 奇跡の一本松ユースホステル

 

知り合いの元漁師さんの葬儀で「知人でもない地元国会議員からの弔電」を聞き、「国会議員は金がかかる」理由を感じた、へき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

6月30日(月)

フランスから越境しスイス滞在11日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

チューリッヒ近く、ツーク州州都ツークの格安ユースホステルで一休み(*連泊)。

一日のんびり近隣を回ります。

 

6月下旬の10日間は珍しく持参したメモ帳に”お日様マーク”が並び、”雲付き”は一日だけ、と”荒天”ならぬ”好天”に恵まれたスイスでした。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPhwBVE5PbrXlX-v1yKemG2Is6oNtE3RtTVMVQM=w408-h272-k-no

(ツーク湖とツークの町)

 

3月末から始まった旅。

(便せんメモより)「この3か月間で5本目のペンも途中で折れ”プラプラ”している」

平日、湖を巡る遊覧船は2本と少なく、ならばと街歩きすれば本当に古そうな”旧市街”に歴史を感じるバックパッカーでした。

 

標高420mの町からから558mの町はずれまで坂を登ると、そこから”市営ケーブルカー”が1039mのツーガーベルクZugerberg山までの500m弱を8分で結んでいて、こちらも”半額券”で乗っちゃいました(往復3フラン・280円)

スイス国鉄以外にも数多くある私鉄やバス・船まで半額で乗れる(*例外あり)のでとても重宝したのが1か月有効の”半額券”でした。

 

通貨単位はスイスフランで1フラン=約92.5~100円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNMVPnP4STEEGorhx8qdREZewxcGmUMVWggrza1=w427-h240-k-no

(市営ケーブルカー 現在の営業時間:6時26分~23時56分)

 

山頂からツーク湖を挟んで昨日通った湖岸が見渡せました。

今まで唯一無二の大自然が続いたせいか、この国では周りの山にもありがちな景色でしたが、それでもしばし時を忘れ滞在できたのは幸せでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNGi0nQSyXhIrTsvByfgpuAbiMODTsFp8F0NM7m=w408-h306-k-no

(1039mのツーガーベルクZugerberg山 頂上付近から)

 

今日は月曜。

週の始まりはKIOSK(キオスク・街中のタバコ屋さん)を除き13時半から店が開き、それまでほとんど何も買えないのはいままでの国と同じでした。

そんな中、街中で早目に開いた店をのぞきやっと昼ご飯にありつけたのは14時のこと。

昨日のパンと500ml・120円のストロベリーヨーグルトおいしい!

それにチーズも。

 

何種類かある”フルーツヨーグルト500ml・120円”は自分にとって”ヒット商品”になりました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipN0kkO-0_p0HOE4UK9mXNgOwxAnhkQLBrTjl_St=w408-h306-k-no

(ツーク マリーナ)

 

この日は重い荷物を背負うこともなく”完全休養日”になりました。

(メモより)「お金(スイスフラン)も残り少ないので、予定通りに出られそう(*出国)」

この先、物価高の北欧4か国まで物価の安めな国が続くとすれば、唯一無二の国なれど(割高な物価に)早く隣国に行きたい!と思わずにはいられませんでした。

 

 つづく

昭和の東西ヨーロッパ行 91 湖畔の町から湖畔の町へ ルツェルン スイス No.582

(隣県 名勝高田の松原 防潮堤から海を背にした眺望 奥はかさ上げされた市中心部  左手前は震災遺構・旧道の駅 このあたりはきれいさっぱり・・・)

 

ユーチューブを見ていて中高年の自分なら”ご視聴ください”といいそうなところ、若年層の主は”ご視聴していただけれるならと思います・ご視聴いただければと思います”と、今はだいぶ長文になったことを知る、へき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

6月29日(日)

フランスから越境しスイス滞在10日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

この日は湖岸の観光地ルツェルン(地図下↓↓)からユースホステルのある湖岸の町ツークまで。

 

駅に荷物を預け(2スイスフラン・190円)3枚の絵葉書を郵便局で出せば、受付のお姉さまはよく見ないで「(*ヨーロッパ外宛ての)3.3フラン」と言うので「本当?」と聞いたら0.9フラン戻してくれました(*3枚すべてヨーロッパ内宛て)。

 

通貨単位はスイスフランで1フラン=約92.5円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

この調子で結構いい加減だったのは、

・ブリーク駅でも正規運賃を取られ、違うと言って返してもらう

・オバーバルト駅では半額パスを見せたにもかかわらず正規運賃を取られるも、時間なく乗ってから気づき半額分860円多く払う

現在はスイス国鉄スマホアプリがありすぐ調べられますが、当時は運賃表もなく””で判断するしかありませんでしたが、「ハーフフェア(半額)??」と確認すればよかったのでしょうか・・・。

ここまでもほとんどの列車が数分遅れなのも”共通点”かもしれませんでした。

 

よくある”間違い”は人のせいにせず”間違いを正す”ことを学びましたが、気を付けていても”失敗”や”後の祭り”はこの後も続きました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPjJ2fLCwtNcCnDnmoTSIener9VKFTVtKOTcNFL=w426-h240-k-no

ルツェルン湖にかかる 回廊のようなカペル橋)

 

ルツェルンジュネーブと町並みをちょっと変えたくらいで観光客の多さは一緒でした。

湖畔を歩くこと30分。

交通博物館(10フラン・950円⇒現在は3081円)はSWISSAIR(スイス航空)のジェット機が外にあり立派でした。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPjPs9IQGgiFSv0w2zxni0bRbGI2YOjrlyJpShO=w426-h240-k-no

交通博物館

 

6月も終わろうとする高所の国で、

(便せんメモより)「湖畔のいたる所に水着姿の人々」がいて日光浴。

「湖岸のプールはいもの山

湖岸一帯は広い敷地でバレーボールやらなにやら楽しむ人々がつどい、反対に街中はいたって静かで人々はウィンドウショッピングにいそしんでいました(*日曜日・店は閉店)。

(メモより)「幸運にも1軒開いていたパン屋さんでパンを買う」

 

ルツェルン15時42分発ツーク(地図↑↑・ルツェルンの右上)行鈍行が各駅に停まる中、湖は変われどそこにもまた人・

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMLITs0zVtxI4N4Xa3Zsbg9UXIPO4lchI6SQZq1=w408-h306-k-no

(途中の町)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOeBTN8T2PQJ_FZVfX9z_qicHdfIBXleW8eIX1r=w426-h240-k-no

(途中の町)

 

16時15分、終点ツークもまた湖岸の町。

わかっていても夕刻は”祭りのあと(終わった~)でした

それでも幸い駅に民族衣装でヨーデルを合唱する数人がいて、スイス民謡を聞くことができました。

 

ユースホステルは”山小屋風(ぼろ屋とも言う)”で、食堂(キッチン)外に面し屋根があるだけ・・・

 

そのせいか、一泊6フラン+キッチン使用料1フラン・665円(*ルツェルンは朝食付15フラン)で連泊することにしましたが、なぜか宿泊者はほとんど英国人

声をかけてもほとんどの人が無視・・たまにいい人はいましたが・・・。

まあ、東洋人に興味のある方はそう多くないのかもしれません・・・。

(メモより)「そのおごり高ぶり?は井の中の蛙ならぬ”欧”の中の蛙か」

 

・”愉快だったこと”:ルツェルン湖ですずめにパンをやれば鳩も来て、鴨は上がって来るは、白鳥・カモメ・カラスまで寄ってくる~

 

・”マナーについて”:若い女性はよく列車で足を延ばし靴を座席に乗せる(*4人掛けの座席)

 

・”恐ろしいこと”:スイスフランの価値が上がり、1ドルは1.83フランから1.76へ下がり、他国通貨も下がるも”円”は変わらず

円の強さは、

1ドイツマルクは81.5円から80.5円へ

1フランスフランは25.25円から24.9円へ

 

 つづく

 

(ツーク ユースホステル 宿泊スタンプ ドイツ語とフランス語でユースホステル教会の表示)

昭和の東西ヨーロッパ行 90 山と谷 平地と湖 冷水水泳 ルツェルン スイス No.581

(隣県 名勝高田の松原 長い長い防潮堤兼、人の少ないウォーキングロード)

 

1月、病院嫌いが2年半前からの体調不良再発で半島の開業医へ行けば、調剤薬局なし/医院窓口での会計&薬の受け渡しに、長らく忘れていた”楽さ”思い出すへき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

6月28日(土)

フランスから越境しスイス滞在9日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

この日は山の谷間の村ゲシェネン(地図下↓↓・アンダーマットの上付近)を下り、平地と湖をかすめ観光地ルツェルンへ。

 

9時44分。

日当たり制限のある谷間の村ゲシェネン(アンダーマットの上)発、湖畔の観光地ルツェルン行”鈍行”で山を下ります。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPo-uxwE7g_hgCIG-ypbUutEWVz0AZvpUAB51z3=w408-h306-k-no

(狭い谷のゲシェネン)

 

列車は左右に大きくカーブする降り方で下に~下に~。

(便せんメモより)「週末を過ごす各地からの車で山上り線は渋滞している」

「なにせ、この国は金持ち国にして、高級車や大型バイクがばんばん走っている」

「隣国フランスの”足かけ自転車”や小型車(主流)はなんなんだ?」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPML5VZdn4j2gr1a8ruMLMXeizZU8bpU5qb1yba=w408-h306-k-no

(途中の村 下って来た山を見る)

 

山が開けて平地に下りる頃、次第に何本もの列車とすれ違い”○○○Seeとか○○○○○○Seeなどの名前がつくが左右に見えてきました。

列車が平地区間を快調に駆け抜けていく間、どこかのんびりとする場所はないだろうか?と探し、終点ルツェルンの一駅手前、メッゲン(地図↑↑・ルツェルンの右隣)という小さな駅に一人降りてみたのは乗車90分後の11時16分。

坂を下るとすぐに湖が見え、近寄って見ると波打ち際でちゃぷちゃぷする波は湖そのものでした。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMBuZj13K08qh9imvqnmAiWMFBYpS0CskDDsOne=w408-h306-k-no

(メッゲン 遠くにメッゲンホルン

 

ほとんどの岸が金持ち所有で入れない中、やっと見つけた岸部でノーブラの母親が幼子と戯れていたがこちらを見て帰っていきました(邪魔しちゃった・・・)。

(メモより)「次にやってきたカップルは他の人に見えないようにノーブラで泳いだりしているけれど、この光景にも食傷気味(慣れ気味)なのでした(*それほど老若女問わず少なくない」

「解放感・・・自然に考えれば当然のことなのか・・」

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMKgmiz5HgHg0fuRXzfwRVEu4rnprdkbLppD8yg=w426-h240-k-no

(メッゲン 遊泳可能な湖)

 

晴れてもそれほど強くはない日差しを気にせず、湖に入れば”やはり冷たい!

他の方が”遠出”をする中、やはり自分には日光浴がよさそうでした。

のんびり5時間近く滞在した後、16時9分発の列車で一駅、終点ルツェルンは”行き止り駅”で目の前の湖に人・人!

(メモより)「橋の上から湖岸から街中から、観光客の波

 

”i”インフォメーション(観光案内所)は午前中のみで役に立たず、なんとか手製の地図でユースホステルまで歩くこと約30分。

郊外立地”のユースホステルは朝食付き15スイスフラン・1500円で”キッチン封鎖”に会い”火の気のない夕食”になってしまいました。

自販機で300mlの瓶コーラが1.5フラン・150円(ジュネーブは330ml缶が1フラン)。

 

通貨単位はスイスフランで1フラン=約92.5~100円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

ここまでスイス国内3軒のユースホステルが居心地よかったせいか、”グループと一緒の6人部屋”で”本来のやかまし”が復活しましたがまあそんなものです。

 

6月も間もなく終わりの標高408mは、この時期かなり気温が上がり、山から下りたことも手伝い、(メモより)「平地は暑い!」

 

 つづく

 

(絵葉書 観光都ルツェルン 湖を渡る廊下が特徴です 背後は登山鉄道もあるリギ山