1kg430円で見つけた隣県の茎わかめ(塩蔵)を使っていたら、アマゾンの小分けされた1kg業務用3582円(実質送料込)を見つけあまりの差額に驚く、へき地県境民です。
沿岸部に来てからわかめに種類や等級があることを知りましたが、味オンチには、、、
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月15日(火)
フランス⇒スイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在13日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
首都ウィーン(地図↑↑・右上)でなんとか東欧ポーランドとチェコスロバキア(現チェコとスロバキア)のビザを取得し定番となった西行夜行列車に乗れば、再来(来襲)した”午前2時半の検札”恐るべし・・・。
6時半。
寝不足でさえない顔のまま降り立ったインスブルック駅(地図↑↑・左)何度目か・・。
今日こそはゆっくりしたいと思い、前回満員で断られたユースホステルまで歩くこと25分。
なぜかそこに管理者の姿はなく、宿泊者に聞いても「知ら〜ん」でリベンジ失敗!
(便せんメモより)「粘った前回と違い今日はすぐにあきらめた」
「ユースホステル」と一口で言っても、国により内容や条件はさまざまでした。
加えて個別差も・・・・・・。
オーストリアの場合、”数や収容人数・設備の少なさ”にバカンスシーズンの旅行者が加わり、利用をいっそう難しくしていたと言えます。
さてこれからどうするか?と一計を案じれば、鉄道ファンがすぐに思い浮かぶは”まだまだ国内各地に残る私鉄ローカル線(保存鉄道)”の存在でした。
そこで8時40分発の急行に乗り、ウィーン(東)方面に戻ること20分。
イェンバッハ(地図↑↑・インスブルックの”ク”あたり)という小さな駅から「地球の歩き方(*当時の旅のバイブル)」に載っていない、線路幅768㎜(*かなり狭い)の私鉄ローカル線(*保存鉄道)に乗ることにしました。
(イェンバッハ こんな小さな村にも私鉄・保存鉄道が二つあり、それは今でも)
7月中旬の平日午前。
小さなディーゼル機関車がけん引する3両の客車は南に向かい、さっそく途中から乗って来た”バカンス軍団(観光客)”によって”満員”に・・・。
(私鉄・保存鉄道の途中駅)
(ディーゼル機関車がけん引する客車 ここでも紅白はオーストリア色)
このあたりは沿線の集落で車が渋滞するほど”バカンスを過ごす人々”でにぎわっている様子でした。
それは毎年恒例の夏祭りそのもの。
宿泊施設もそこかしこにあるはあるは・・・。
左右に連なる山々に多数見えるリフトやゴンドラはすごい景観!
夏冬にぎわうリゾート地はこちらに限らず、国内あちこちに見受けられました。
さすが山国オーストリアです。
(メモより)「川沿いの散歩道も言うに及ばず・・・(*人・人・人)」
(SL保存鉄道とディーゼル機関車がけん引する客車)
途中で起点駅イェンバッハまで引き返すと、反対の北側へ向かうミニSLとミニ客車の姿が見えました。
ミニSLは動輪(車輪)が二つ(*大井川鉄道にあるのは三つ)でけん引するのはこれまたかわいい客車です。
親切なる”日本語の説明文(*不便な場所まで日本人が来るあかし)”によると、この線はヨーロッパで最も古い”アプト式鉄道(*レール以外に歯車をかみ合わせて昇り降りする)”とのこと。
(メモより)「日本人何人かが乗った満員の”おとぎ列車”は行ってしまった」
(ミニSLとミニ客車)
11時。
前回、周遊パスは「ドイツ経由オーストリア線は有効・イタリア経由線は無効」と車掌に言われ訪れることかなわなかった南部リーエンツ(地図↑↑・中央下・フィラハ左)。
ならばとイタリアを通らずに向かいましたが、ぐるっと大きく迂回(競輪で言えば”まくる”感じ)することがわかり、複数乗継げば所要時間はなんと7時間!・・・。
(沿線)
それでも一部前回と重なって通った区間は空がきれいに澄み渡り、山々はくっきり見え、前回の低く垂れこめた雲が見せる不気味な光景とは一線を画していました。
オーストリアは変わりやすい山の天気を体感できる場所です。
(沿線)
18時に着いた南部の街リエンツ(リーエンツ)。
中心を川が流れるこの街もまた、登山とスキーで年中観光客が切れないようでした。
お目当てのユースホステル(*”そこにあるから行く”みたいな状態)は徒歩15分の川沿いにあり、収容人数150名、素泊まり105AS・オーストリアシリング・1500円。
通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約12~14.4円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
がっつり食べて(自炊して)やっとゆっくり寝られるぞ、と思いきや!
キッチンは収容人数150名に対し「二口コンロひとつ」「テーブルひとつ」と申し訳程度の設備・・・。
(メモより)「(午後)9時 (順番待ちで)まだ飯が食えていない、、、」
「天はイギリス 地は○○ス○○○か」
恵まれた他国のユースホステルとの差を痛感するバックパッカーでした。
(写真上 リエンツユースホステル 下 宿泊スタンプ)
つづく