X(旧ツイッター)で海外在住邦人"ゆうパパ"さんによると、
「"円の価値と信頼が爆下げ"している。
海外にいると円の両替を嫌がられることや出来ない場所が増えてきている。エジプトでも日本円は今レート悪いんだと言われたし、ドルかユーロで支払って欲しいと言われる。一応世界3番目に流通している通貨のはずなんだけど、ドル・ユーロ・BTC(ビットコイン)の世界になるかも。」とか、、、
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月19日(土)
フランス⇒スイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在17日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
昨夜は何度目かの夜行列車で東部ウィーン(地図↓↓・右)から西部インスブルック(地図↓↓・左)方面へ。
23時40分。
オーストリアでは最後になる夜行列車の6人用コンパートメント(個室)に、どかどかと音を立て”異邦人”ならぬ”異欧人親子4人組”がやってきました。
彼らは深夜にもかかわらず、さっそくペチャクチャペチャクチャ、話しで盛り上がり・・・・・。
たまらず廊下に出てまわりを見渡すと、前回までなかった”開放型車両(日本と同じ)”が連結されているのを発見!
運よく移ることができたと思いきや、眠りも浅い3時45分、またもや車内検札(切符拝見)が!!
(便せんメモより)「夜中でも停車するせいか乗り降りは激しい」
そのためか、6時半に降りるはずのインスブルックを寝過ごすこと40分。
今度は西からインスブルックまで戻りましたが、”誤差”の範囲と思えるのは周遊パスと変更が容易にできる「ゆるい予定」のおかげでした。
(インスブルック西方 乗り過ごした町 テルフス)
インスブルック駅で”北人”の粘りかしつこさか、試しに過去2度断られたキッチン付ユースホステルに電話したら3度目の正直で「OK!」と言われさっそくチェックイン!
9時。
ユースホステルに荷物を置いた雨の中、壊れ気味の傘で街へ繰り出し傘を探してぐーるぐる・・・。
やっと見つけた店ではセールなどというものはなく、折りたたみ傘が1本「190~300~AS・オーストリアシリング・2700~4300円~!!」
通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約12~14.4円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
130AS・1800円のも見つけましたが、これでもロンドンの倍・・・。
”しばらく我慢して使おう”と思えるのも、次が”期待できる”ドイツの予定だからでした(*日本とドイツは今ほど物価の差はなく、かえって割安だった)。
(インスブルック 街中の史跡)
こじんまりとした街をひとしきり歩いた後、頭に浮かんだアイディアは”4日前と同じ”でした。
4日前(*以下文章に加筆)。
さてこれからどうするか?と一計を案じれば、鉄道ファンがすぐに思い浮かぶは”まだまだ残る私鉄ローカル線(保存鉄道)”の存在でした(★病気です)。
そこで11時発(*4日前は8時40分発)の急行に乗り、ウィーン(東)方面に戻ること20分。
イェンバッハ(地図↓↓・下右)という小さな駅から「地球の歩き方(*当時の旅のバイブル)」に載っていない、北のアーヘン湖へ伸びる私鉄ローカル線(*保存鉄道)に乗ることにしました。
(イェンバッハ こんな小さな村にも私鉄・保存鉄道が二つあり、それは今でも)
4日前は南へ伸びる私鉄ローカル線(*保存鉄道)でしたが、反対の北側へ向かうミニSLとミニ客車乗車が目的です。
ミニSLは動輪(車輪)が二つ(*大井川鉄道にあるのは三つ)でけん引するのはこれまたかわいい客車です。
親切なる”日本語の説明文(*不便な場所まで日本人が来るあかし)”によると、この線はヨーロッパで最も古い”アプト式鉄道(*レール以外に歯車をかみ合わせて昇り降りする)”とのことでした(*現在写真を見ると歯車がないのでなくなった?)。
(イエンバッハ駅に停まる小型SL)
4日前のにぎわいと大きく違う肌寒い雨の中、乗客はお年寄りが10数人とアジア人1人。
SLは発車後すぐに急こう配を登り始めました。
(メモより)「速度が出るはずがない急こう配は160パーミル(*1000m進む間に160m登る・かなり急)」
「ドラフト(シュッシュポッポ!)の音はなく、遮断機のない踏切で汽笛を鳴らすだけ」
左右に連なる山々に多数見えるリフトやゴンドラはすごい景観!
夏冬にぎわうリゾート地はこちらに限らず、国内あちこちに見受けられました。
さすが山国オーストリアです。
(途中駅から山に向かって伸びるザイルバーン・ケーブルカー)
(湖の終点へ向かい進む ミニSLとミニ客車 SLが後ろから押している)
湖の終着駅で遊覧船を見送れば、次の列車は2時間後。
冷たい風の中、湖岸の遊歩道を進んでみました。
(アーヘン湖 周辺にはたくさんの宿泊施設が点在していました)
7月19日だというのに、日中の気温は10度、湿度65%。
観光バスがどんどん行き交う中、店は喫茶店以外すべて閉まっている・・・(#週末土曜日です)。
2時間待ちきれずに乗った”郵便バス(*スイスにもある、ラッパのマーク)”は正確で、標高1000mから500mのイエンバッハへ大きく迂回する道路から眼下に町並みを望むことができました。
インスブルックに戻り、激しさを増した雨に濡れながらユースホステルまで歩くこと25分。
(メモより)「久しぶりの自炊で”肉”とご対面 しっかり野菜も食べた」
「バカンス(夏祭り)グループ」で満員(*単身者は少ない)のユースホステルは居心地がいいとは言い難いのは、彼らが他人と交流する機会が不要なため視線をそらしたり、大人数を生かした振る舞いを見せるからでした。
とうとうオーストリアチケット(周遊パス)も16日目の今日で終了(*期限切れ)。
明日はドイツに行くか行くまいか・・・。
しょうしょうと降り続く雨はバックパッカーの心を少しだけ憂うつにし、決めかねているうちにどんどん夜は更けていくのでした。
つづく