(今日日桜の開花が話題の1ヶ月前/3月上旬 ドカ雪後の岩手県/釜石線鉄橋
川の堤防沿いの道は真っ更で"雪中行軍"が楽しめました)
親の引っ越しでたまたま見つけた「薬の説明書」で、両親と同じ薬を飲み始めたことが判明しショック!のへき地県境です。
どちらが先に逝(い)ってしまうかは?
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月9日(水)
フランス⇒スイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在7日目。
(地図と写真と小さい文はグーグルマップより)
西のウィーンから東へ向かう夜行列車。
2時45分(*真夜中です)、突如”検札(切符拝見!)”で起こされた後はうつらうつら・・・。
今一つスッキリしないままずっしり貯まる”疲れ”の原因は、逃した宿(*ユースホステル)の代わりに夜行列車を継続し安息日(休養日)を設けることができないためでした。
6時半。
夜行列車で3度目のインスブルック到着後、形だけでも”キッチン(台所)”があるユースホステルへ徒歩25分もむなしく”本日も満員”・・・。
親切にも宿の方は市内に複数あるユースホステルに電話をしてくれたのですが・・・(朝からすべて満員)。
それは、7月上旬、本格的なバカンスシーズンの到来/夏祭りを意味していました。
(インスブルック)
(便せんメモより)「そういえば昨夜の夜行列車はインターレイルパス/ヨーロッパ人用1か月有効を利用する学生さんやらなにやらでえらく混んでいたっけ」
取り敢えず駅近く(*エキチカ)のスーパーで食料を仕入れ、リュックを25㎏オーバー?と重くしてから”イタリア経由の急行で"自炊可ユースホステル"まで行こうと画策しました。
朝食を含め駅で2時間のんびりした後の11時。
ディーゼル機関車が3両の客車をけん引する列車は南へ向かい、えらく険しい山の中へ入っていきました(*地図↑↑・インスブルック下のボルツァーノ方面)。
チロル地方と呼ばれるこのあたりはとてものどかな風景が続きいい感じですが、もちろんチョコ(*当時10円)は売っていません。
気分よく過ごしていると車掌さんに言われたのは、「オーストリアチケット(周遊券)」は「ドイツ経由線(*再びオーストリアに入る)は有効」でも、「イタリア経由線は無効(*別料金)」ということでした(そんなん知るか~)。
周遊券に英語の説明書があるわけでもなく、言われるまでわからない例でした。
(越境した イタリアの町 ブレンネロ)
そう思う間に47分でオーストリア車両は国境を越え、イタリア ブレンネロ(*地図↑↑・インスブルック下のボルツァーノの上あたり)へ到着。
なぜかお金を払わずに済みました。
これ幸いとパスポートを見せ、折り返し12時発のインターシティ(都市間連絡優等列車)で再びオーストリアへ・・・。
(メモより)「短時間でも人・文字・国旗にイタリアを感じる」
「このインターシティ、ミラノ⇒オーストリア⇒ドイツ⇒オーストリア⇒ドイツの運行で、この駅からなんと!機関車5重連!!(オーストリア4両+ドイツ1両)”一度に回送”ですか・・・」
(沿線 チロル地方)
無事お昼過ぎに朝降りたインスブルックに再び降り、お目当ての国際列車「トランザルピン(ウィーンからスイスのチューリッヒとバーゼルまで運行)」でドイツ経由ザルツブルク(地図↑↑・中央)へ向かいました。
ところが連日の疲れからかオーストリア編成(*スイス編成もある)の車内や車窓を楽しむ間もなく”寝落ち”・・・・・。
そのまま2時間後の15時半、味気なくもザルツブルクに着いてしまいました。
(ザルツブルク駅)
ザルツブルクは東アルプス山脈を望む、ドイツと国境を接するオーストリアの都市。街はザルツァッハ川によって二分され、左岸には中世やバロック様式の建物がある歩行者天国のアルトシュタット(旧市街)、右岸には 19 世紀のノイシュタット(新市街)があります。旧市街には有名な作曲家モーツァルトの生家があり、彼の幼年期の楽器を展示する博物館になっています。
”モーツァルトチョコ”は有名なお土産です。
”i"(インフォメーション・案内所)で”日本語のパンフレット”をもらい、さっそくユースホステルに電話をすれば電話機が壊れていて1AS(オーストリアシリング・14円)はさようなら~(戻って来ません)。
幸い2台目の電話機で通じれば「OK」の答えに救いの神(の声)を感じたのでした。
(メモより)「徒歩30~40分は考えず(*疲れで考えられない)、12AS/オーストリアシリング・175円でバスに乗る」
通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約14.4円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
無事ユースホステルで受付を済ませ、電気コンロ1台・4か所のキッチンで暖かいものを食べることができほっと一息・・・。
一息ついた後休憩室を探すと、350名収容の巨大な室内に人・人・人・団体さんが!
(メモより)「新幹線の騒音をはるかに超える声は階段を反響し、いられる場所は8人部屋のみ(*厳しい・・)」
ちょうどこのころ雨も降りだし4日続きの雨日に・・・。
混み混みバカンスシーズン/夏祭りの甘くはない格安宿を思い知らされるバックパッカーでした。
つづく