昭和の時代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
今から38年前、昭和60(1985)年の2月
「青春18きっぷ」を利用して
「青春18きっぷ」とは、春・夏・冬に販売される、JRの普通・快速列車・BRTバス等に1日乗り放題が5回分セットになっている切符のことです。
期間中、12050円で一人で5日間利用してもいいし、5人で一日という利用の仕方もありです。
現在は「新幹線開業で第三セクター化した在来線」で「乗れない区間(★有料の意)」が増えましたが、昭和時代は国鉄が全国を網羅していたため”抵抗(苦労)”なく目的地に行くことができました。
しかも、「長距離普通列車」や「長距離普通夜行列車」で遠くまで行くことができました(山陰本線経由、京都⇒下関や東北本線、上野⇒青森など)。
この時も、前日「深夜零時以降に到着する駅までの切符を買い」
・東京⇒大垣(岐阜県)は夜行列車
と一日分の切符で済ませることも可能でした(実際は用事で途中下車しました)。
(スマホ地図は右手の方です)
「なんで松山か」は「日記」になってしまうので(語るだけ野暮です)控えさせていただきます(傷心旅行です)。
やはり「道後温泉」の存在は大きいものだったのでしょう。
松山訪問は「1度目の夏」と違い「2度目は冬」。
温泉の3つあるうちの2つ目の料金を払い、入浴後二階の「大広間で休憩」すれば、体も心も充分”温まり”ました。
それから20年近く、予期せぬ「3度目の夏」に恵まれたのは九州からの帰り道。
「温泉街裏の無料駐車場」で車生活さんが”蚊取り線香”をたいているかたわらにワゴン車を停め、温泉街の歓楽街を”犬連れ”でのんびり散歩(3度目は自分のみ入浴しませんでした)すれば、まるで「地元民」にでもなったかのよう。
真昼間から客引きを行っていたお兄さんもノーリアクションでした(広島市の歓楽街でも”単独”で同じように目にあったのはなぜでしょう・・・)。
記録には
「5年半ぶりのユースホステルは、下宿屋に(今となっては意味不明です)。
温泉裏の山の中腹に、でかい立派な”城(ユースホステル?)”ひとつVS松山城。
湯もいい。なつかし二人部屋。夜更かし」
市電の終点がある温泉。
伊予鉄道や市電を使いながら平地の街をゆっくり歩いて一日を過ごすのもよさそうです。
そこに文学の香りを感じながら・・・。
訪れた宿の数「75」のうち
廃業した数63
今も営業中12(うち休館中2)