昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
今から42年前、昭和56(1981)年の夏休み 九州周遊券(21日間有効)を利用し南国へ・・・。
当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」に「周遊区間内は特急自由席乗り放題」が加わりました。
ユースホステルのあった吹上(ふきあげ)浜(★地図の国道270号線の標識あたり)は鹿児島本線伊集(いじゅう)院(当時は町・今は日置市)から、鹿児島交通枕崎線で南下し枕崎まで行く途中にありました。
地図の南さつま市は吹上浜の先で、路線の中心地「加世田市」が周辺の町と合併してできた市です。
お盆の混雑にもめげず、改造車両を含む気動車から客車(木造)、電車までさまざまな車両が運用されている九州をこまめに乗り継ぎ、。
夜行列車(普通)で長崎⇒博多から、かつての炭鉱の町筑豊の細かい路線を乗り、夜行急行「かいもん」(乗車率100%)で鹿児島入り(何度目でしょう?)。
道中、「沿線火災で遅延」すれば乗り換え危うし・・・・・。
「きつねうどん200円」「佐賀駅のかにちらしすし500円」「桜島船代60円✖2」「きくらげ入りかごしまラーメン400円」が41年前の物価でした。
鹿児島市内を歩いた後、伊集院から乗った「鹿児島交通枕崎線」のディーゼルカー(気動車)は時速30キロばりの速度でゆ=るりと日置(ひおき)駅に到着。
この砂浜のどこかで、北朝鮮の工作船に日本人が拉致されたのが四年前の1978年だと意識することはなく・・・。
宿は、北海道の積丹半島にあった「積丹(しゃこたん)かもいユースホステル」と同じほど記憶に残る場所でした。
ちょうど夏の盛り(お盆)。
たくさんのホステラー(宿泊者)と浜辺まで行き、夕陽を見たのは「積丹かもいユース」と一緒。
浜の小屋でわいわいやりながら「回し飲み」。
飲んだモノと年齢は忘れました・・・。
宿に戻ってつぼ状の「五右衛門風呂」につかり・・・・・。
楽しかった思い出今もこれからも。
翌日、8月15日。
鹿児島交通枕崎線で再び南下し、加世田駅(現南さつま市)構内で「B20型のSL3両」に遭遇し、たいそう興奮したようです。
「B20型蒸気機関車」は第二次世界大戦前後に製造された、主に「入れ替え作業用小型機関車」のことです。
「B」なので車輪がふたつしかない、かわいらしい大きさ(客車をけん引していたこともあるようです)。
枕崎から現存するJR指宿(いぶすき)枕崎線で右手に開聞岳と錦江(きんこう)湾を見ながらゆっくり鹿児島市内へ。
その日の夜行列車(博多行き急行「かいもん」乗車率150~175%)が旅じまいの始まりでした。
翌日、一日で周りきれなかった「筑豊」の残り路線に乗り、生涯で唯一体験した寝台特急(ブルートレイン)「あさかぜ」で下関から一路東(横浜)へ・・・・・。
途中乗り込んできた、後続のあさかぜ(1日2本でした)と勘違いした人たちに強引に席を占有されるトラブルもありましたが・・・。
数えてはいませんが、今では二度とできない、とんでもない列車本数に乗れた過去。
良くも悪くも「国鉄(日本国有鉄道)」の黄金時代に感謝して、、、。
諸経費を見たら、
九州ワイド周遊券17300円(関東から)、(寝台)特急券+寝台券9600円を含め、夜行列車をフルに使い、込々20泊21日で約90000円だったようです(費用はアルバイトで)。
今と違うのは、カメラの「フィルム代・電池代」があり、携行品に「缶切り」「サンバイザー」があったこと。
ユースホステル代は2500円。
現在建物は現存するものの、営業は行っていない模様・・・・・。
もし再度訪れる機会があっても見ないでおきましょう(建物)。
訪れた宿の数「65」のうち
廃業した数57
今も営業中8(うち休館中2)