昭和の時代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
今から38年前、昭和62(1987)年の3月
「青春18きっぷ」を利用して
(昭和56・57年当時、1年間に福岡県内6か所のユースホステル宿泊で「オリジナルTシャツ」がもらえたようですが、先着順なので頑張って6か所泊まった方全員もらえたのでしょうか??)
頑張って山の中腹まで歩いて行った模様
3月上旬。
再就職前にご縁ができた、春の息吹まだまだ先の奥州から春きたる(と北にいると感じる)九州へ。
当時の無職人は「青春18きっぷ」を使い、約1600㎞を2日がかりで。
・東京⇒大垣(岐阜県)は夜行列車
・大垣⇒北九州(福岡県)は東海道線・山陽本線の普通列車を何本も乗り継ぎ九州上陸が可能でした。
それは今と違い、「普通列車でも”乗り継ぎ”を考えたダイヤ(時刻)」が成せる業でもありました。
一日中列車に乗っていると、いくら鉄道好きでもお尻が痛くなったりしましたが、そこは我慢がまん・・・。
通常、遠方から「九州へ」は飛行機を利用するなか、学生時代に初めて国鉄周遊券を使い京都から小倉(北九州市)まで新幹線で上陸して以来、2度目の訪問。
宿はユースホステルに多い立地「山の中腹」にあり、夜は夜景も楽しめる場所でした。
記録は残っていませんが、春休み前はおそらく空いていたかと。
建物は写真のような典型的な箱もの(コンクリート製)です。
2013年、福岡市内のゲストハウス経営者が「アロハスピリット」の名で運営再開も、放漫経営がたたり3年で断念、閉館とか。
建物は解体され現在は更地の模様。
立地が立地だけに、再利用にはハードルが高いのかもしれません。
スタンプは名物「ふぐ(ふく)」。
北の地では見かけない「ふぐさし」が丸皿に盛られてスーパーに並んでいるのを見て、お~!と思ったものでした。
下関の駅弁「ふくめし」は山陰旅行の際友人からわけてもらい・・・(試食体験)。
なんだかよく「味」がわからないまま・・・・・。
「台紙」のように「すばらしい夜景を枕に」できたか否かは、今となっては定かではありません。
訪れた宿の数「76」のうち
廃業した数64
今も営業中12(うち休館中2)
(国内は)これでユースホステルの紹介は終わりです。
取っておいた資料は「終活」でさようなら(紙資源 雑誌扱い)。
頭の中からも徐々に「フェードアウト」。
最後は頭も体も「フェードアウト」。
できるだけ減らした残置物とSNSは最後に子供が、、、(「フェードアウト」)。