昭和の時代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
今から38年前、昭和60(1985)年の2月
「青春18きっぷ」を利用して
記録では、
「3度登場。(たぶん)戦前ユースホステル(実際は✖です)。
松山(愛媛県)でもらい忘れたハンドブックをしっかりくれるは懐かしいやら、冬の旅。利薄」
岡山は四国への3本の橋ができる前、(宇高)連絡船で四国に渡る際の乗り換え地点でした。
そのため、宿を利用すること3度。
滞在途中、市電に乗って「岡山城」や川向いの「(日本三名園のひとつ)後楽園」へ。
車社会の現代、不思議にも日本各地に市電の走る街が残っていて、その風景に「いいな」と思う自分(一部新規開業も)。
それは、幼少期を過ごした街でも起こった「モータリゼーション」で徐々に市電が邪魔物にされ、廃止されていった「昭和の思い出」があるからかもしれません。
「江ノ電(江ノ島電鉄)」「都電荒川線(#今は「東京さくらトラム(都電荒川線)」の表示ですか・・・)」が有名どころ?で、再会を期して生きましょう。
関連するホームページによれば、「岡山県青年会館」は現ノートルダム清心女子大学の構内にあった建物を移築。
当初「各種研修施設」として盛況・増設も高度経済成長で「簡易宿泊施設」としての機能が重要視され、ユースホステルは昭和39年より利用されてきたようですが、惜しまれながらも平成20年に閉鎖。
昭和33年開設からちょうど50年でした。
訪れた宿の数「75」のうち
廃業した数63
今も営業中12(うち休館中2)
(国内は)終わりです、と思いきや「卒業」は2年後だったようです(あとひとつ)。