昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。
今から40年前、昭和57(1982)年の3月
学生が初めての海外一人旅で韓国を訪れた際、下関(山口県)から釜山(韓国)へ往復した帰りに立ち寄りました。
琴電(高松琴平電気鉄道) 屋島駅下車 徒歩圏 あるいはJR屋島駅から
地図では平地に見える場所もいざ行ってみると高地だった、の場所でした。
その分景色は抜群で、眼下を通ることでんの電車と国鉄のディーゼルカー(気動車)がいい感じに見えました。
3年半前、大分市(大分県)での作業帰りに立ち寄った時は、対岸(右側)から平らな屋島(#スタンプ参照)をじっくり眺めることができて感無量でした(2月に花咲く、たくさんの島が浮かぶ瀬戸内海に見とれ進むうち、うどん屋さんを見つけ損ね食べ損ね、やっちまった~でした)。
記録には「わらじ作りはたいへんだけど、ぶ格好でもいい!たくましく作っておみやげに」。
確かに、「大人サイズのわらじ」を持って帰ってきましたがその後はくこともなく・・・。
当時ユースホステルでは、さまざまなイベントが催され、時間があれば参加するのが楽しみのひとつでした。
残念ながらこちらの宿も古い情報はネットに残るものの、いつの間にか閉館したようです。
「ユースホステル・香川県」で見ると、現在残るは「小豆島」の一つのみ。
当時は○○県ユースホステル協会で新規登録や更新をしたものでしたが、なんとも寂しい限りです。
「ユース=若者」のイメージがあると、中高年や家族連れ、カップル、グループの利用に結び付くイメージが湧きずらいかもしれません。
今はそれより「ゲストハウス」のほうでしょうか?(これまたたいへんそうです)
訪れた宿の数「70」のうち
廃業した数62
今も営業中8(うち休館中2)