三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

YH ユースホステル 昭和宿の今 ユースホステルまこと会館 宮島 廿日市(はつかいち)市 広島県 No.373

(昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から40年前、昭和57(1982)年2月

初の海外旅行一人旅で韓国を訪れる途中で立ち寄った宿

 

ユースホステルまこと会館(広島県廿日市市宮島町)廃業

山陽本線 宮島口駅下車 国鉄連絡船で 

日本三景のひとつで有名な「宮島」の正式名称は「厳島(いつくしま)」です。

「お宮(厳島神社)のある島」という意味だそうです。

 

なぜ、韓国に行く途中に立ち寄ったのか。

それは、空路ではなく海路を選んだからです。

当時(今も健在です)、飛行機より安価な下関(山口県)~釜山間の「関釜(かんぷ)フェリー(#韓国では釜関フェリー)」を選択した学生はノートによれば「前の晩、東京から夜行に乗って、今日も一日鈍行また鈍行でやっと着いたよ夜7時、ぐったり」。

東京発大垣(岐阜県)行き夜行列車は西方面に格安で旅する時のありがたい乗り物で、何度も乗車しました。

朝終点から普通列車(電車)を乗り換え乗り換えひたすら西へ・・・。

「理論上」は関門海峡を渡り夜遅くその日のうちに九州上陸が可能でしたが、この際泊まって今まだ見ぬ厳島神社を・・・。

翌朝。

大きく重いリュックを背負い、歩き回ることはあまりせず、神社のある島の入り口付近を見ただけで島を後にしました。

それから37年後。

北の地から九州・大分市に作業で下の道を往復する途中、トラックで仮眠したのは宮島が見える対岸の「小田島公園」。

明るくなり姿を現した、神社とは違う建物のない小高く大きな島。

その島との間を時折小船が行き交う、なにやらのんびりした時間の流れる朝でした。

30年間営んだ(リサイクルショップ)中で、何度か入手する機会があったのは「もみじ饅頭」ではなく「しゃもじ(木製)」。

大きさと絵柄の違う何本かを「11月開催のフリマ」でも出品しましたが・・・・(売れず)。

ヤフオクヤフーオークション)を含め「しゃもじ」は需要が全くない一品です(★処分)。

 

スタンプは島のもみじ・厳島神社の鳥居・鹿。

ユースホステルは旅館と兼営でした。

廃業後、建物は解体、現在は宿泊施設「宮島ホテルまこと」で営業中とか。

 

訪れた宿の数「67」のうち

廃業した数59
今も営業中8(うち休館中2)