三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

春の半島は 天然記念物と無人の校舎 三陸 No.598-A

4月中旬。

夜9時に近くで鹿ちゃんの鳴き声がする季節がきたようです。

 

先日の午後。

冬から通い始めた半島の開業医の窓口で「次回は(混む午前ではない)午後でもいいですよ〜」と言われたのをいいことに、なるべく混まないだろう夕方到着まで少し道草を食って来ました。

 

委託品のヤフオク発送で訪れた半島の郵便局が今までにないほどの混み具合だったのは「今日は年金支給日(2カ月に1回・偶数月の15日)」かとハッ!として・・・。

 

半島全体が震災後に三陸復興国立公園になったようです。

過日、沿岸の災害公営住宅(町営住宅)の入り口の看板が”復興住宅”となっているのを見ましたが、これから全国各地で災害が起きるたび”復興○○○○”という名称のものが増えていくのでしょうか・・・。

 

半島の尾根を通る本道から外れまだ見ぬ側道に入れば、グーグルマップの平坦さとは真逆の急なアップダウンが始まりました。

本道すら”スカイライン”と呼ぶにふさわしい、左右に振られながらのアップダウンが続く道。

それは側道も同じで、本道と側道を結ぶ道はそれにも増してすれ違いにも難儀する”急な登りか下り”なのが半島の道です。

最初に”斜面に入り組んだ狭い道沿いに、高さの違う家々が点在する”さまを見た時は、これがリアス海岸かと感嘆しました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNDesknfF8bI2-wA8Q_MS4bZ4NNR3ZyhYhkxvHI=w408-h306-k-no

(写真はグーグルマップより 砂浜がほぼなくごろごろした岩が続く けわしい海岸 外海・太平洋でも養殖いかだあり 近くは漁船 遠くはフェリーや中・大型船が通る)

 

のんびり行く側道に車の姿ほぼなく、代わりに目の前に突然現れた「カモちゃん!天然記念物カモシカ)1頭」

まだ明るい午後2時半のことでした。

こちらに驚いたカモちゃん。

側道を横断することなく大きな体を反転させ、のっそのっそと来た道(*遊歩道)を戻っていくので急いで車を降りて後を追ったのですが、曲がり角で見失ってしまいました。

音もなく草かげに消え・・・(*ウシ科です)。

 

(2年前に別の場所で出会ったカモちゃん お食事中でした)

 

海岸沿いに進んだ先に小舟が係留されている小さな漁港が何か所かあり、復興予算でできた高さある立派な防潮堤にさえぎられていたりします。

この後、半島の先にある先月閉校した小学校が気になり車を延ばす(足を延ばす)ことに、、、。

 

尾根沿いの高台にある小さな学校を初めて下から見上げればなんとも高い敷地!

ご縁あり何度か訪れてはいましたが、やがて到着した校門正面からゆっくりと敷地を眺めるのはこれが初めてでした。

 

(個人撮影)

 

ちょうど右側に並ぶ桜が見ごろを迎えていましたが、ここはもう人っ子一人いない空間。

この春最後の卒業生が11人だったことをネットニュースで知り、「最後は二桁」いったかという想いです。

 

こちらの学校にはアルバイト(助っ人)カメラマンとして、卒業アルバム用に入学式、運動会、修学旅行(*統合した2校合同)、卒業式の撮影にお邪魔しました。

初めて訪れた際、尾根にある校舎(正面右側)の端から太平洋の青い海原が遠くまで見えていたく感動した記憶がよみがえります。

 

「たくさんの思い出が詰まった」

よく聞かれるフレーズですが、少し関わっただけでも数々のシーンが思い出され、あらためて思い出が詰まった場所なことを実感させられました。

当初から各学年の児童数はほぼ「一桁ずつ」で、近い将来統合することが決まっていましたが、本当に近かった・・・。

 

誰もいない校庭脇に遊ぶ子供のいない遊具たち、、、。

きれいに管理された花壇に色とりどりのチューリップがひっそりと佇(たたず)んでいました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOEIPhob5OC8Phf7EAWF1sc51C0RzLxFFNPzBZ_=w426-h240-k-no

(学校のかたわらにある 1962年開設 個人商店さん兼営?の簡易郵便局 今後もやっていけるのでしょうか?)

 

帰り道。

半島の尾根を通る本道を横断すると反対側もまた、”斜面に入り組んだ狭い道沿いに、高さの違う家々が点在する”景色が続きます。

ほどなくして下まで降りるとそこは内湾です。

 

(個人差はありますが)泳いで行けそうな距離に、5年前(2019年)待望の架橋なった島が見えてきました。

島の中学校は一昨年閉校・小学校もいずれスクールバスで市街地の学校へ・・・。

写真(↓↓)はカキやホタテ養殖が盛んな内湾漁港のうちのひとつです。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNZPP8q6lco-oKwc6qmrJWCCtIho8EWXgxGla6P=w408-h272-k-no

 

人口減少が続く中、湾づたいに漁港のある集落同志を結ぶトンネル工事が行われていましたが、なぜか道の両端は本道にはつながらず尻切れトンボ、、、。

 

ピーク時22000人いた人口も今や5300人の旧町。

人は減っても家は(ほとんど)減らず。

相当数空き家があるものと思われます。

月初めにポスト投函される市の広報誌で”カウントダウン”がいやおうにも目に入ります。

 

午後は港で作業する人も見かけず、歩く人も見当たらず、通る車もかなり少なく、、。こうしてのどかな時が静かに過ぎていきました。

(1か月もたたずにグーグルマップから消えた小学校 名前は消えても校舎や体育館、プールのは地図上に残る)

 

・1949年開校

・1959年、ピーク時の児童数は575人

・直近では52人まで減少

・先月の閉校式には地元住民や児童ら300人が出席、昔の様子が上映される

・在校生全員が感謝の言葉を述べ校舎に別れを告げる

・74年の歴史に幕