三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

半世紀以上前に廃(すた)れた石は 半島ウォーキング 2 三陸沿岸 石切り場 No.450

全国チェーン店が多少ある地方で、スタバ(スターバックスコーヒー)の一番近い店舗はここ何年かでできた隣県の市で、58㎞・76分・・・ご縁はなさそうな県境民です。

先月から一時再開した”ヤフオクヤフーオークション)”。

落札された小物をポスト投函する帰り、ちょっと足を延ばして海まで・・。

自宅にほど近い周囲3キロにも満たない半島は、リアス式海岸特有の切り立ったがけが続き、地図では行き止まりの道。

以前から「奥の方に”石切り場の跡”がある」と聞いていましたが、対岸からはよく見えず、接近あるのみです。

 

行き止まりにあった、まとまった敷地。

海とは反対の山の方向に、深さのありそうな”大きな沼(池・ため池)”があり、よどんだにごり水の中に沈んでいる・浮かんでいる主種雑多なものは、石の切り出し作業で使ったもの?

広い敷地のあちこちに無造作に放置された/置かれた、タイヤ10本以上・ブラウン管テレビ・液体を貯める舟形容器。

スチール製のはしごのようなものは、盗まれるほど鉄価格の高い今、小遣い稼ぎにはなりそうですが”仕事になるほどの量(何百キロ)”はなさそうです。

さらに、漁網や”漁網防汚剤”のシールが貼られたドラム缶まで・・。

 

さて、肝心の石切り場はというと・・・高台から見えました(写真↓)。

そこに広がっていたのは、コンクリートと鉄の残骸があるだけの風景です。

細い竹林の、やっと人ひとり通れるほどの道を探し出し降りていくと、やっと海岸の石の上に出ました。

”ザブン~!ザブン~!!と激しく岩に打ち付ける波の音・・・はちょっと怖さも感じる慣れない音です。

太平洋の沖を見れば、そこには地図にはない”景勝地”が広がっていました。

コンクリートの岸壁と崩れ落ちたベルトコンベア(写真↓)。

もう、石切り場に近づく道は確認できませんでしたが、かつて鉄柱とベルトコンベアを通って運ばれた大理石が、岸壁に横付けされた船に積み込まれ・・・・・。

グーグルマップは車道が乗り入れる石切り場でおしまいですが、どうやら人とけものが通る道が先まで通じています。

そこでなだらかな上りをしばらく進むと、一帯は山の中、背の高い杉林に変りました。

ところどころにある、赤い椿の花をつけた木とシダ類の新緑が映えます。

林越しの眼下は”海色(かすかに海が・・)”。

途中3か所ほど”天井までネットを張った小さな畑”があり、ご縁あればシカちゃん/カモシカちゃんとの出会い・・。

お試し移住で1年住んだ別の半島でも同じでしたが、”手入れのされていない木々”は倒木を生み、痛々しい姿をさらしています。

密集した細い木々。

”間引き”は??

時報道された、「コロナで輸入材不足・建築資材高騰で国産材に需要」にもご縁のなく放置されたままの山は、これからも生き続けます。

予想外に高低差ある小道。

ぐるっと半島を回れば、一周30分もあれば・・のはずが60分。

結局、海岸に下りることのないまま回り切り、国道を望む場所まで戻ってきました。

気が付くと、いつの間に「眼下」と呼べる高さにいる・・・。

貝塚や館跡”はこの辺の各地にありますが、こちらの山の”館跡”はもっと高いところにあるらしく(地図では)、道を見つけることはできませんでした。

(写真↓)山肌に整備された畑のはるか下に、震災後整備された4本の橋が見えます。

手前から2本目が国道45号線、奥が山を通る三陸自動車道です。

かつて一帯にあった住居群は今跡形もなく(更地)、想像するしかない移住者(自分)。

”管理をしやすくする”ためのコンクリート製護岸は、三陸沿岸部あちこちの風景になりました。

 

地図には決して載らない無名の地。

周回の間、結局一人の人ともすれ違うことなく、畑作業のばあちゃんが一人、、、。

されど、隠れた景勝地として一時を過ごすのも悪くないと思わせる半島でした。