所用と旅を兼ねて北へ。
上の道(三陸自動車道)は使わずに、街中以外はガラガラの下の道(国道45号線)を走ります。
格安な宿と旧国鉄 JR旧岩泉線を訪ねちょっとだけ内陸部へ。
夜7時のチャイムが「ベートーベンの交響曲第九番・喜びの歌(いわゆる”第九”)」だった翌日。
日本一面積が大きい町、岩泉の中心を流れるは小本(おもと)川。
かつての「玄関口」岩泉駅は広幅の橋の先にありました。
地図で言えば国道455線、龍泉洞の下あたりが中心部です。
昨日見つけた「浅内駅」にあったSLの給水塔。
宿に「岩泉線の長いジオラマ(模型)」があったのでフロントの方からいろいろな話を聞く中で岩泉駅構内が狭かったことから、木材の積み出し駅浅内に給水施設を確保したことが予想されました。
(小本川に架かる橋・正面奥に「いわいずみ」の看板と共に駅舎がありました)
大きくて立派な駅舎は今も健在で、2階は観光協会。
中はこんな感じ。
まるで今にもお客さんや列車が入ってきそうです。
今でも8987人(2020年)の町ですが、並んだソファーが往時のにぎわいを感じさせます。
開業時すでにモータリゼーションの波が・・・。
道路の発達で鉄道の優位性は次第に失われ、交通弱者時々観光客だけが利用する路線に・・・。
1日3本、朝と夕方(夜)は、高校生の通学のため。
ありました、このパターン、北海道でも。
確かに狭い構内。
当初、沿岸部の小本(おもと)まで延長される予定は岩泉まで開通後立ち消えとなったようです。
駅前通りにもあった”産直無人スタンドpan>”で思わず”5本100円のきゅうり”を買えば、インスタントコーヒーの瓶のような透明のプラスチック容器が置いてあり、中には何枚かの硬貨が・・・。
「人信用システム」に心洗われます。
旅の目的の一つに「心洗われる体験」があるような気がします。
宿の展示物によれば、この地も”遠野”と同じく語り継がれてきた”民話”があり、昨晩風呂上りにしばらく見入ってしまいました。
一例:「2時間歩いて岩泉の町に来たら、いい魚が売っておらず、それでも帰り道、知り合いが現れ”紅マス”と交換してもらって小躍(こおど)りした翌朝。母親から”古い下駄を持ってきてどうしたか?”と起こされた」
「道の駅岩泉では”岩泉線廃線のきっかけとなった豪雨”で1.何メーターか浸水、近くの事業所では2.8mとの表示があり、確かにこちらもそばに川・・・・。
幅広い、いつもは穏やかな川もひとたび牙を向けばこわい存在・・・。
内陸部から海まで県道44号線(近道)の山を登り下り、国道45号線を横切り、海岸を目指します。
距離は近いが海は見えず・・・(?)。
スタート時の山の気温27度は昼24度(7月下旬)。
こちら、田野畑村は快晴です。
この時点では・・・(変わりやすい山の天気、海も)。
つづく