三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

YH ユースホステル 昭和宿の今 金沢ユースホステル 石川県 No.342

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
1泊2食付2000円台まで(一時期)でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

 

今から42年前、昭和56(1981)年4月上旬~中旬 春休み 北陸周遊券(14日間有効)を利用し春まだ浅い北陸へ・・・。

当時、周遊券は「周遊区間までの往復は普通(快速)列車が、周遊区間内は普通・急行列車自由席乗り放題」でした。 

 

金沢ユースホステル(石川県 金沢市廃業

北陸本線 金沢駅下車 バスで

 

駅からバスだったか、それとも若さにまかせて歩いたか、、、。

記録では「徒歩60分、山の中腹に行く間にいろいろ見どころあり」の記載があり、それなり重さのあるリュックをしょって歩いたか・・・。

卯辰山(うたつやま)は金沢の街を見渡すことができるスポットです。

宿は金沢市から土地を無償提供で開館され、当時その立地(県庁所在地)から多くの利用者がいたと思われます。

 

古き良き街並みを残し、兼六園でおなじみの有名観光地、金沢市

お隣は広々とした金沢城公園です。

山を下り、浅野川を渡り、犀川(さいがわ)を渡り・・・歩きやすく回りやすい街を、一日かけてゆっくりと・・・・・がおすすめです。

歩いた感想は「チャリもTAXIもあきまへん 市内はゆ~るり歩きましょう」(あくまでも当時若者の視点です)と記載されています。

 

どこだったか、「建物のからくり仕掛け」が今でも印象に残っていて、どうやらそこは寺町かいわいにある妙立寺(忍者寺)だったようです。

金沢大学では学食で昼食を・・・。

今なら金沢市民の台所(?)「近江町市場」あたりにも興味ありありですが、当時は鉄道旅中心の専門学校生(さしずめ今でいえば”乗り鉄””撮り鉄”)。

宿の食事以外、移動中はパンなど簡単なもので済ませおみやげも少々、、、。

後日だいぶたってから、自営業ではるばる北の地からトラックを走らせた際、「北陸自動車道」は街中を貫き走りやすい!、一方「街のはずれの山道をくねくねと通る冬事故がある自分のところとは全然違う!ことに驚いた街。

北陸新幹線開業で一番の観光客が訪れる、魅力あふれる人気の街はこれからもおすすめです。

 

宿は一時休館・再開を経て「耐震性に難あり・要補強工事」で継続を断念。

2015年に解体・更地で市に返還されました。

 

訪れた宿の数「59」のうち

廃業した数52
今も営業中7(うち休館中2)