お盆、ディーゼルカーから山間部の狭い区画の「休耕田(耕作放棄地)」を多数見、直後、関東平野の「空いた土地あらば田んぼ」を見ると、その差に驚くへき地県境民です。
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
4月13日(日)
西ドイツ西部、国境の町の友人宅に荷物を置いて、1週間の隣国ベルギー・ルクセンブルク訪問7日目・最終日。
ベルギー周遊券のエリア外、ルクセンブルクからベルギーのリエージュまでは79㎞、鉄道運賃285BF=1140円はバックパッカーにはたいそう痛いものでした(地図↓↓)。
通貨単位はBF/ベルギーフラン(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1BF=4円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
本線ではない、3両の客車を引くディーゼル機関車は15分遅れで出発。
(メモの便せんより)「くねりくねって、川と共に山の奥へ進む」
「その景色は期待にたがわず、285フラン出した”甲斐バンド”」(*1986年です)
「国境を過ぎ下りになってから遅れを取り戻した列車、今度はずっと川沿いを進む」
「複線でもローカル線」
沿線各地に”キャンプ場”があり、4月中旬のこの時期でも車の姿が・・(このあと、夏のバカンス時期にも各地でよく見ました)。
ベルギー東部、ワロン地域の中心、古都リエージュは工業都市でもあり、こちらもまた「教会・城・宮殿・大聖堂」などの場所が有名です(だんだん見慣れてきます)。
(最近のリエージュ・グーグルマップより、当時高層建築物の記憶はありません)
西ドイツ国境の街アーヘンまでの急行が2時間後なら街歩きができる・・。
ところが要の地図はうかつにもルクセンブルクのユースホステルに置いてきてしまった・・・ので、”ブラ歩き”していると目の前に旅行者の姿(*旅行者はまだまだ少ない時代)。
その男性はイタリアに出稼ぎに来ているペルー人で西ドイツに2カ月いるらしく、一緒に教会の中を見ているうちに時間がないことに気が付き戻るも、5分前に出発した急行・・。
20分後のI.C(インターシティ/優等の国際列車)は特別料金(170BF=680円)で背に腹は代えられず(急行は2時間後)・・・(残りの200BF札で30BF硬貨のおつり)。
「トイレに行けば”先客万来”、ならばと前の車両に行けば、車掌とご対面~。検札で国境からアーヘンまでの運賃54BF=220円」(*駅に改札口がないので、ご対面~がなければ払わずに済みました)
「30BF硬貨しかないので20DM 札(ドイツマルク)で支払えば、なんと手数料が入り運賃54Fが100BF!になり、おつりも100BF硬貨が3枚・・」 (*ドイツでは使えない)
通貨単位はDM/ドイツマルク(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1DM=80円
両国とも今では統一通貨のユーロ圏で、このようなことはなくなりました。
列車はDB(ドイツ国鉄)の車両で時速200㎞/hまで可能なI.C(インターシティ/優等の国際列車)。
10分遅れ(多少の遅れはしょっちゅう、が普通でした)で西ドイツ国境の街アーヘンへ到着したのですが、駅の出口で腕時計のバンドが外れている(留め具/ピンがない)ことに気が付き戻るもプラットフォームはもぬけの殻・・・・・・・・。
何はともあれ、街からバス40分で滞在先の町に戻れたのは予定どおりで、”初めての鉄道旅(*移動ではない)”は無事終了を迎えました。
*** ベルギーの感想(あくまで当時のものです) ***
・人も言葉も、北(オランダ語)と南(フランス語)、首都ブリュッセル(ミックス)では違いがありましたが、皆さん親切でした
・町には公園・広場が必ずあり、レンガ造りの家がほとんど
・駅のエスカレートは入口の床を踏むと動く(*当時日本では経験したことがない)
・北は牛・羊、南は馬が多い
・フランス、ドイツ、日本より物価は高い(安いのはビール・コーヒーくらい)
・ファッションはすごく、特に女性は子供からびしばし
”短期間で1日2都市をまわる”範囲でも”見る価値は大”でしたが、予算はオーバー気味でした。
「ルクセンブルクで余りコインで買ったタバコ(36BF=144円)はタバコにあらず、”タバコサイズの葉巻10本入”で、吸えば”においがセーターに付き一日中取れなかった」
「欧州滞在2週間でそろそろラーメン(持参したインスタント)が食べたくて、とりあえず夜”永谷園のお吸い物”を飲んだ」
今日もまたルクセンブルク、アーヘンで雪がちらつき、ロエトゲンの町に残雪こびりつく4月中旬。
東西ヨーロッパを巡る旅は冬まで続く予定でしたが、行先も含め”変更オーライ”(*1年有効の航空券は後日航空会社の支店で予約ができる)。
このあと起こる、ソビエト/チェルノブイリ(現ウクライナ/チェルノービリ/)”原発事故”を控えながら・・・。
つづく