最盛期の人口11万6908人(1960年)から、炭鉱閉山と鉄道の廃線を経て今年8月末で6554人、今も毎年4.5%減少中の北海道夕張市。
その”大地の奥”華やかりし頃、1979年以来2度目の訪問を車でと願いつつ、実現は”親次第(親を見送ってから)”という、へき地県境民です。
(夕張市 グーグルマップより)
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
5月6日(火)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在11日目。
ロンドンは10日目に入りました。
朝、さっそくユースホステルからB&B(ベッドアンドブレックファースト・朝食付の宿)に移動し重いリュックを預けたら、身軽な体で少し中央から西に離れた”キューガーデン(王立植物園)”へ行ってみました。
(キューガーデン 王立植物園 日本庭園や門も グーグルマップより)
植物園までは”9時半から有効”の地下鉄一日券(1DAY TRAVEL CARD)を使い、入場料0.25ポンド(=70円)で広い園内に咲く数々の花を見つつ移動するも、まだまだ寒い5月上旬。
雲行きが怪しくなってきた昼すぎ中心部へ戻り、本屋さんで買い求めたのは地図。
ヨーロッパ全体を網羅したものです。
(表紙はパリ凱旋門・ローマ円形闘牛場”コロッセオ”・南仏ニースの長い海岸)
今ならスマホ地図で事足りそうですが、当時は”印刷物”を携行する一択でした。
昨年(1985年)スコットランドで編集・発刊された、ヨーロッパを(*大まかに)網羅した地図は重さ533gで3.93ポンド(=1060円)。
英独仏の辞書と合わせると結構な重量を感じましたが、致し方ありません。
(黒は西側・広域の赤は東側と北欧3国、ギリシャ、トルコ 空白は旧ソビエト連邦と北アフリカ)
やたらスロットマシンが目立つゲームセンター立ち並ぶ中心街。
中に”元祖スペースインベーダー”も発見!
”ナイアガラ”という”コイン落とし”は本物の硬貨が並び、少々挑戦・・(収穫はプラス20ペンス硬貨1枚=54円)。
夕刻、過日リージェントパークで会ったカナダ人女性が滞在中の、郊外の友人宅を訪れてみればあいくに不在・・。
ならばと、2日前にいたく感激した”中華街”ふたたび・・・。
思い立ってあちこち行けるのも、”地下鉄1日券”のおかげです。
同じ店で頼んだ”北京ダック鶏肉飯”1.5ポンド(=410円)は
(便せんメモより)「鶏肉がこれぞとばかり乗る」でやはり◎(二重丸)でした。
通貨単位は£/イギリスポンド(#ユーロ加盟国後離脱/現在はポンド)で1£=約270円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
2度も安価でおいしい中華料理を食べられたことは、これ以降続く地味な自炊生活を考えれば、まさしく”命の洗濯ならぬ食の洗濯(日ごろの食生活からの解放)”だったのです。
午後7時、友人宅を再訪しても彼女は戻らず、家主(イギリス人)と(つたない英語で)話しをすれば、オーストラリアに移住希望の独身の方で、島国の人間には思いのほか交流や移動(移住)が多い感じを受けました。
彼女も「(この国で)2カ月働く予定をやめて旅行し、フランスで働くかも」とも。
なんとも自由な発想と広い行動範囲。
そこに国境や心のハードルはあるのかないのか低いのか・・・。
もっともこの国(イギリス)も特徴ある島国ですが・・。
結局、パブかどこかへ行ったのか、彼女との再会かなわず夜遅く退散。
今生の別れとなりました。
美術館・博物館・公園をはじめとして見どころ満載、1か月いても回れそうもない大都市ロンドン。
ですが、”旅の終わり(期限)”を考えると、そろそろこの街を出て”大英帝国”と呼ばれる国を見てまわる時だという思いが強く湧き出てきてきました。
いよいよ明日はロンドン脱出をもくろみますが、はたしてすんなりいくことやら、、。。。
つづく