(北の10月、緑一面のキャンプ場でした)
震災後、県境の高台に集団移転でできた団地に、先日ルート変更でやって来た「路線バス(大型)」。
回転やUターンのできない、白線を引く幅もない袋小路をどう通るのだろうと頭巡らす、へき地県境民です。
予想通り、空気を運んで行ったり来たり、、、。
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
5月7日(水)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在12日目。
この日、10日間いたロンドンから北上するのに利用したのは”バス”です。
残念ながら運賃が割高で移動も決して便利ではないイギリス国鉄。
乗るのをあきらめた鉄道ファンは、割安な運賃と国内に充実した路線網を持つ「ナショナルエキスプレス」の都市間バスを選択、中心部のビクトリアコーチステーション11時発のバスで一路ケンブリッジへ。
(ビクトリアコーチステーション グーグルマップより)
ロンドンの北方約100㎞にあるケンブリッジ(地図↓↓)は、昨晩訪れたロンドン郊外のアパートで家主の彼が書いてくれた”イギリスおすすめの場所”のひとつです。
オクスフォード(地図左↓↓)と並び大学で有名な場所ですが”規模や立地条件”はだいぶ違いそう・・・。
街中の見慣れた景色は、渋滞の中少しずつ遠ざかり・・・うとうとしているうちに高速道路に入ったバスは、飛ばすに飛ばし、抜かすに抜かす、この速さ!
平地ばかりの道を1時間45分、ぽっかり開けた町ケンブリッジに到着。
(1209年創立の名門 ケンブリッジ大学 グーグルマップより)
時折降る雨で寒さ感じる中、初めて傘差しながら町のはずれのユースホステルまで”行軍”です。
両肩にずっしりリュックの重さ感じ、小川流れるこじんまりした町中で何人もの学生さんの姿を目にしながら、全くご縁がない世界(学生生活)かと思いつつ歩いていました。
ユースホステルでは(便せんメモより)「大人数で腹いっぱいの夕食・デザートのパイの大きくて甘いこと!」とだいぶ満足したようです。
有名な町の宿は種種雑多な国からの人々で一杯、中にはドイツ人(成人)の団体さんも。
利用者のほとんどが青少年の日本と違い、成人も多く年齢にかなりの幅があるのが今まで利用したヨーロッパのユースホステルの特徴でした。
中央アフリカのトーゴから来た男性には「トーゴを知ってるかい? とうごうへいはちろう(*東郷平八郎・海軍軍人)のトーゴだよ」と言われ、日本よりも日露戦争の連合艦隊司令長官で日清戦争でも活躍した功績が海外にも知られていることを知りました。
「東方の小国が大国ロシアに勝った」衝撃、当時はいかばかりか・・・。
後日訪れるポーランドやトルコもそうですが、「かつてロシアにひどい目にあわされた国は、その大国に勝った国に親近感を覚えることが少なくない」のかもしれません。
たとえ戦勝国(日本)が大陸(大国)を挟んで遠い反対側にあったとしても・・・。
また、ある男性に「マルタから来た」と言われ、そこが地中海のシチリア島(イタリア)とアフリカ北部との間にある、国際会議も行われる小さな島国なことも初めて知りました。
このところのチュニジアなどのアフリカ北部からの移民船が目指すイタリアの映像を見るにつけ、小国マルタの話しが出てこないのは小国ゆえ保護してもらえないからなのでしょうか?
スペイン人の男性は、東洋人が少しでもスペイン語を”かじった”ことを知り喜んでくれましたが、容易に通じなかったのは”あなた”で習ったため。
親しい関係で使う”おまえ”で話されても初めはちんぷんかんぷん(結局英語で・・情けない)。
わいわいがやがやわいわいがやがや。
リビングでの会話は尽きず・・・・・そうして夜はあっという間に更(ふ)けていきました。
つづく
(ケム川に沿った町 )