(10月上旬 北の紅葉初めはこんな感じでした)
実家の食後のデザートで初めて食べた、皆様おなじみのシャインマスカット。
マスカットと違い食べ慣れない濃い甘さに二粒でごちそうさまをしてしまった、低所得者へき地県境民です。
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
5月8日(木)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在13日目。
昨夜、排水管が”キューキュー”いった、ロンドン北部の学園都市・ケンブリッジユースホステルの14号室でなんとか寝入れば朝までぐっすり・・・。
バスの”日帰りチケット”が片道に比べ実に安い(例:片道4ポンド=1080円が往復4.7ポンド=1270円)ので、連泊して西部”ノリッジ(地図下↓↓)”へ。
”北の町”を意味するこの町はなんと、ノリッジ・ノリッチ・ノーリッジ・ノーウッチとも呼ばれ、英語圏(国)の各地で同名の場所が存在します。
徒歩25分のバスターミナルから60マイル(96キロ)2時間の旅。
運賃は2.5ポンド(=675円)なので鉄道は到底かないません。
通貨単位は£/イギリスポンド(#ユーロ加盟国後離脱/現在はポンド)で1£=約270円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
ケンブリッジの町を出ればすぐに田舎の風景。
5月、やけに映える新緑は、このあたりが北国であることをうかがわせます。
不思議と放牧される家畜の姿は見られず、それでも野原には一面緑が広がっています。
平原の単調な景色と暖かな日差しを受け何度かうたた寝を繰り返すも、なかなか目的地に着かないローカルバス。
それでも2時間きっかりでノリッジの町に到着しました。
(ノリッジ・ノリッチ・ノーリッジ・ノーウッチ グーグルマップより)
商店や他の建物が密集した街中のくねった起伏ある道の先にあったカテドラル(教会)。
いままで何か所か見た中では最大級の大きさでしたが、”塔の高さ”はドイツベルギーオランダには及ばない?のが特徴でした。
中に入れば、途切れ途切れに響きわたるパイプオルガンの音。
消化不良を起こした腸が時折もこもこ動いてプ〜みたいな、外れた音色をかなで。。
どうも”練習中”だったようです。
”1分間の維持費は75ペンス(=約200円)”の看板で寄付を呼びかけ・・・。
キリスト教に無縁の自分でも心休まる空間でした。
(グーグルマップより)
街の中心小高い丘に城があり、城壁を巡れば街が見渡せ駅もありましたが、ムムム!そこはお高いイギリス国鉄・・・(乗れない)。
”坂の広場”に”出店”があったので見てみると、食べ物から床屋さんまで飽きの来ないラインナップでしたがそこは”食い物”目当てのバックパッカー。
”安い!”
ロンドンの物価を見慣れた目に”1ポンド(=270円)のフィッシュアンドチップス”。
さらに列を作るほどの繁盛店。
”買った!”
みなさまおなじみ、有名な”白身魚(たら?)のから揚げとポテトチップス”です。
(便せんメモより)「ここも大英帝国。味付けはない(素揚げというやつです)」
「ポテトはドイツオランダと違い”ぶつ切り”で”からっと”はなっていない(=べちゃべちゃ)”」
(メモより)「うまい」のは腹が減っていたせいでしょうか・・・。
大ぶりの白身魚は無塩でもおいしく、いい思い出になりました。
食後のコーヒーは20ペンス(=56円)、もちろん”立ち飲み”です。
夕刻、復路2時間半かけてケンブリッジのユースホステルまで戻れば、この日は”フランス人の団体さん”(昨日はドイツ人)。
当時の日本のユースホステルではまず見かけない、いずれも”成人”の方々です。
この日は宿で出会いらしい出会いはなく早々にリビングを退散、、、。
(メモより)「シャワーの湯はなし=水シャワーなこともあることを渡欧で知りました」。
北の5月の肌寒さは夜になるとこたえます。
持ち込んだ日本酒小パックにもほろ酔えず、あとはゆっくり寝るだけのバックパッカー、、、。
つづく
(ロンドンで買ったオランダ画家さんの絵葉書 印刷はスウェーデン)