(秋 足に肩に頭に「慣れこい」山のとんぼ たとえ歩いていても・・・)
お盆明けの朝、46年ぶりで相模線(神奈川県)に乗れば、日中でも上下15分おきの電車は単線。
「平均7.5分ごとか?と感じる(*勘違いする)ほど短時間で”駅でのすれ違い待ち”」が発生しても、遅れもしない見事なすれ違いに日本の鉄道を実感する、へき地県境民です。
一方、北のローカル線のすれ違いはいたってのんびり、あっても1本・2本・・・(中は向こうもスカスカ?)。
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
4月27日(日)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在3日目。
(有名なドーバー~カレーは英仏間)
(便せんメモより)「今日も珍しく晴れ」(*それほど4月の天気は曇雨でした)
ドーバーのユースホステルの朝食(イングリッシュブレックファースト)は1.5ポンド(=420円)で以下のものでしたが・・・
・コーンフレーク(*パンはない)
・卵焼き
・ソーセージ
・ベーコン
・煮豆(*スーパーでは特大/業務用から特小まで、何種類ものサイズ/種類の缶詰が売られていてびっくり)
ソーセージとベーコンは冷凍ものなのか元々なのか、”ドロッと”していて口に合わない・・・(*その味37年たった今も、、、)。
このことがこの国の”口に合わないはじめ”だとは、この時はまだ気が付いていませんでした。
(絵葉書 1900年ドーバー市庁舎)
この日も雨霧の中、駅から直接ロンドンに行くのはもったいない、とカンタベリー(地図↑↑)で途中下車。
(カンタベリー 写真と文章はグーグルマップより)
人気の観光地も、止まぬ雨と”日曜(店は休み)のため買い込んだ食料”で”重巡洋艦”になったリュックで街歩きは断念・・・。
ここからの”日曜・間引き列車(ディーゼルカー)”に乗れば、なんと「線路工事(Enginering Warks)」で途中までしか行かない・・・・・(*どこぞの国の鉄路・道路の夜間工事と違い、日曜昼間の工事です)。
都市部に限らず、地方の町まで走る2階建てバスにこの後も乗ることになります。
(便せんメモより)
「(一筆書きの旅路でもったいないのに)うたた寝したら、もうロンドンビクトリア駅」
(ウエストミンスター寺院左の赤い=がビクトリア駅)
(ビクトリア駅 グーグルマップより)
日本ではあまり見かけない”行き止まりホームに高天井”の駅の案内所(インフォメーション)でバスガイドと市内ガイド(パンフレット)をもらう頃になって、やっと晴れ間が見えてきた・・。
ユースホステルまで地下鉄(米国のサブウェイではなくアンダーグラウンド)は50ペンス(=135円)で、乗り継いだ2階建てバス(あの赤いやつ)はなぜか料金も確かめずに50ペンス払ってから行先を言ってしまった・・・。
通貨単位は£/イギリスポンド(#ユーロ加盟国後離脱/現在はポンド)で1£=約270円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
ロンドンにあるのに「Holland House(ホーランド/オランダハウス)」という名のユースホステルは、さすが大都市人の山でした。
(便せんメモより)「受付時間を待ってロビーに寝ている人もいる」
「早く来て正解。午後5時に来ていたら”アウト”だったかも」
「日本人もいるみたい」
なので、”開門”までケンジントン(地図中央↓↓)近くの、これまた「Holland Park(オランダ公園)」で一休み・・・。
ユースホステルの”受付”は16時、素泊まり5.1ポンド(=1430円)でこれでも都市部の割増料金でした。
(宿泊スタンプ)
素泊りということは”台所(キッチン)”があるはず・・・。
(メモより)「なんとバス付(*共用のものがいくつか)!!」
「1か月ぶりの風呂(*今まではシャワー)は最高で50分も入ってしまった」
「食堂にテレビがあるので見たら、やたら(言葉が)早くてついていけない。問題だ」
それでも、大阪の学生さん4人組や女性と久しぶりに日本語で会話ができ、ここが人の集まる大都市の大型宿泊所なことをつくづく実感したのです。
つづく