三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

1986 昭和の東西ヨーロッパ行 7 国境の町から ちょこっと隣国 西ドイツ アーヘン ベルギー ブリュッセル No.496

(8月上旬 日本海沿岸 山形県鶴岡市山の溫泉神社 入浴後すぐ蚊のえじき)

今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後にやめたおかげで幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

4月7日(西ドイツ西部 レートゲン/ロェトゲン⇒アーヘン⇒ベルギー ブリュッセル

(レートゲン/ロェトゲン 地図2枚目右下の町)

(レートゲン/ロェトゲンは右下)

 

この日、「イースター(キリスト生誕祭)休暇」を終えフランス人は帰国、日本人は”ベルギー1週間の旅”へ。

荷物は滞在先のアヒムの家に置いて軽装で心も軽く、といきたいところでしたがそううまくはいかないものです。

9時起きで10時半のバスに乗れば、なぜか途中で降ろされてしまった・・・。

どうも”乗り換え”らしく、なんだかんだで17キロに1時間10分、国境の街アーヘンに到着。

さ~て駅は?と歩いても地図がないのでわからない(今ならスマホ地図?)。

「駅はどこですか」とつたないドイツ語で尋ねれば早口(に聞こえる)ドイツ語で答えられ・・(それなら”英語で言ってください”とでも言えばいいのに、と思えるのも今だから?)」

今ならさしずめ「google翻訳」でスムーズいきそうです。

線路を見つけ沿って行ってもなかなか着かず、13時に着けばその間列車2本が・・・。

幸い、14時のI.C(インターシティ・国際列車)で料金変わらず一路ビューーン!と首都ブリュッセルへ(相互乗り入れ/速さをありがとうフランス国鉄!)。

 

(メモ代わりの便せんより)

ブリュッセルは街全体が何十年何百年もたった建築物の連なりで、中にひときわ目立つ教会や近代建築物がある街。さしずめ、江戸や明治の建物が東京都心の大部分を占めているかのよう」。

通貨単位はBF/ベルギーフラン(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1BF=4円。

 

国税庁が発表した民間給与実態統計調査の結果によると、昭和61年(1986年)の平均年収は386万円でした。

35年後、2021年(令和3年)の平均年収443万円(14.7%上昇)と比べると、約13%低いです。

 

 

なんとかユースホステル(320+シーツ代80=400BF=1600円)に泊まれ、夕食は近くのスーパーへ行けば、安い!(=当時日本円は強かった)

・牛乳500m 60円

・洋ナシ3個 32円

・ビール330ml 80円

・パン(大/フランスパンの幅広タイプ)72円

ユースホステルではビール250mlとペプシコーラ共に80円)

 

のんびりシャワーと洗濯後、ロビーに下りるとそこに日本人!ならぬブラジル日系3世の方。

言葉がポルトガル語か英語でも、顔は完璧日本人(米国留学中)。

スペイン語ポルトガル語とかわらない(彼)」・・・このことは後日”なんとか理解する”くらいの体験をすることに・・・(自分)。

23時、フランス留学中の日本人もいて、いろいろ情報が入りありがたや・・・。

(当時は今のようにSNSはなく、”見ず知らずの方と事前につながる”ことはほとんどできませんでした)

 

 つづく