三陸 海 旅 つれづれなるまま

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1986 昭和の東西ヨーロッパ行 5 国境の町から国境の街へ  アーヘン 欧州 西ドイツ No.494

今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後にやめたおかげで皮肉にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパです。 

 

4月5日(地図下ではレートゲン/ロェトゲン⇔アーヘン ドイツ)

西ドイツ西部、滞在した小さな町ロェトゲン(人口約8000人・地図下ではレートゲン)も中心都市アーヘンと同じく国境に接していて、1キロもいかないうちにベルギーです。

 

曇り空の肌寒い日が続く午前、17㎞離れた大学のある街アーヘンまで大型バスで買い物に・・(フランス人に同行)。

2021年現在249000人の大きな街、アーヘン。

3時間は単独行動で歩き回り、買ったものは「レターセット3マルク(=240円)」。

マクドナルドのコーヒーとフライドポテトそれぞれ1.5マルク(=120円)、ハンバーガーは2マルク(160円)。

 

 

 国税庁が発表した民間給与実態統計調査の結果によると、昭和61年(1986年)の平均年収は386万円でした。

35年後、2021年(令和3年)の平均年収443万円(14.7%上昇)と比べると、約13%低いです。

 

「日本よりは安いが、食料品の割安感に比べると・・・」との記述も、現在はビッグマックで530円ほど、日本(450円~)と思ったよりも変わらない・・・(少ない価格差は意外ですが、当時と物価は逆転しています)。

中心部にある大聖堂を見学する人・しない人に分かれ(フランス人)見学すれば(自分)、3マルク(=240円)を払ってくれて(フランス人)またまた感謝・・・。

歴史ある大きな建物の中に飾ってある油絵はよくわからなかったけど、同行するフランス人に感謝を込めて一つ覚えの「この絵は素晴らしい!(仏語)」。

 

夕刻。

遊園地に行けば、そこは「乗り物」よりも「賭け事」の世界。

「鉄砲で撃ち落とす」とか「くじ」等・・(ドイツ人のくじ好きは聞いていたけどあ然)。

ここでもフランス人は乗り物に乗った一部の子どもを除き見物役にまわり、落ちたお金は飲み代のみ。

なんとも変わった”遊園地”でした。

午後7時、村に戻り隣家で夕食会です。

メンバーはフランス人4人、自分、アヒム、ドイツ人2人、ご夫妻の計10人。

いくつか覚えたフレーズの一つ、「私は日本人で日本から来ました(独語)」と言ったものだから話せるものと勘違いされ「#$%&‘*+><~=!!(独語)」・・(話せません)。

日本に来たことのある一人のドイツ人は少し日本語を知っている・・。

初めて経験する「アペリティフ(食前酒)」は、飲みながら話をして雰囲気を作るためのもののよう・・・。

メインディッシュは「3種のパン・ハム・チーズ・ゆで卵(初めてエッグスタンドに乗ったたまご・スプーンでコツコツ、上部の殻を外して食べる)、ピーマン、トマト」以上でした。

「夜のゆで卵」は今でも記憶に・・・。

食後にコーヒーを飲めばもう9時でしたが、”お次”はダンスパーティーが・・・・・。

こうして一日は目まぐるしく過ぎていきます。

 

「離れ屋を使い、10畳ほどの狭い部屋にかかるは知らないヨーロッパの曲が多く、”ヤーヤーヤー”とかいう曲(曲名ではありません)はいやに盛り上がって、日本人も結構やってしまった」

「チークダンスもやっとこさやったはいいけれど、言葉の壁とモテなさに、ああ、私はエイリアン(外国人)」

 

 つづく