三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

1986 昭和の東西ヨーロッパ行 1 出発まで  欧州 チェルノブイリ原発事故 No.490   

7月下旬、このところの熱波で、眼の前の防災無線から日々「熱〜中〜症〜予〜防〜」の放送が大音量で流れる、へき地県境民です。

 

今から37年前、1986(昭和61)年に放射能漏れ事故を起こした、ソビエト連邦チェルノブイリ(ロシア語)原子力発電所

その後ソビエト連邦の崩壊でウクライナは独立、現在はチェルノービリ(ウクライナ

語)と呼ばれていますが、当時の名前で表記させていただきます。

 

当時、若輩者が”働けば長い休みは取れない国”で働く間、長い休みが取れる場所(事業所や役所)を探せば、「某国政府観光局の夏休みは1か月」、国内の職場で最長は「山陰の某工場が3週間」ということが判明しました。

その条件は将来地方の親の面倒を見る自分には合わず、しばらくの間あきらめていました。

それが何のご縁か、ホテルから転職した黎明(れいめい)期のコンビニ業界をわずか8カ月でやめることで、念願の長旅が実現しました。

 

前年(1985/昭和60年)、”月の残業が30分”の条件よいホテルをやめ、1974年江東区豊洲セブンイレブン1号店がオープンして10年目の業界へ転職(1号店は45年後に閉店・現在豊洲には同社だけで3店舗あるようです)。

”中途入社後すぐ試験/4カ月目に新店の店長””店の2階に泊まり込み””24時間を二人の社員とアルバイトで営業”ほか超長時間労働が延々と続く会社を去り、5か月の準備を経て渡欧が実現しました。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパ。

周遊券「ユーレイルパスの安価版ユーレイルユースパス(2カ月有効)」でかなりの国がカバーできるのも決め手でした。

1985(昭和60)年秋の離職後、圏央から北の実家へ(レンタカーで引越し)。

ネットのない時代の情報収集は、当時旅のバイブルとも呼ばれた「地球の歩き方(本)」購入や、旅人が集う喫茶店で経験者の方から話を伺(うかが)うくらいでした。

語学は英独仏西の教材と辞書をそろえ・・・(カセットテープを聞いて・・と思いつつ全部まではとても回りません・・・)。

その中でも専門学校でかじったスペイン語には興味があり、地元の”スペイン語研修会”に通うことに・・・。

フラメンコも踊る先生から教わる楽しい時間。

スペイン語研究会の食事会/なぜかフランス料理でした/ソースがお皿に残ったままで残念~)

とあるクリスマス行事で知り合った朝日新聞の記者さん。

立命館大学を中退し同志社大学に入り直した聡明な方で、後日取材を受け朝刊に載せていただきました。

記事に複数の間違い/勘違いがある、「コンビニを”深夜スーパー”」と書く時代のことです。

年明け1986(昭和61)年。

北の寒さにも吹雪にもマケズ、バイクを走らせ市中央部まで、半分の時間を遊びにも使い準備は少しずつ・・・。

(手帳によれば)2月、

・旅券(パスポート)を県庁で受領

・1:27発 急行「八甲田」で圏央へ(1982年に東北新幹線が開業してからもしばらくの間は夜行急行が運行され、”東京ミニ周遊券(7日間有効)”を活用できました。

・東京国際ユースホステルが満員なので神奈川YH(横浜市)に宿泊(2食付2800円)

 

 

 国税庁が発表した民間給与実態統計調査の結果によると、昭和61年(1986年)の平均年収は386万円でした。

35年後、2021年(令和3年)の平均年収443万円(14.7%上昇)と比べると、約13%低いです。

 

・大使館・政府観光局めぐりは計14か所。

・不要となった松坂屋高島屋のクレジットカードを解約。

あの時会った(飲んだ)専門学校の同級生は今ごろ・・・。

帰路は2002年に廃止された東北新幹線あおば(★各駅停車タイプ)に特急券を払い

3月、

・社会人をやめて「確定申告」で税務署行き・・・(還付金)。

大韓航空運賃の振込(★ネットがない時代は銀行振込/78年ソ連に銃撃され、83年ソ連に撃墜され、87年北朝鮮工作員に爆破された航空会社、ソウル経由で時間はかかるが安い)。

・「+8000、+4000、+5000、+9000、+20300,-8500、+11000・・・」は退職後日々通ったパチンコやさんの収支で、1カ月目のマイナス以外2カ月目からはプラスでしたが、学生時代からのトータルでは大きく・・・(店の柱が1本立ちそう・・)

 

終活の一環で整理中に出てきた”昭和グッズ”はこのあと分別・紙資源へ・・・。

 

(1986年、37年前に流行った音楽)

  つづく