三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

YH ユースホステル 昭和宿の今 市ヶ谷ユースホステル 東京都 No.370

昭和40・50年代、旅する若者の間に君臨した宿、「ユースホステル」。
一時期1泊2食付2000円台でしたが時代が変わり下火になり・・・。
当時利用した宿のその後をたどってみると・・・。

今から41年前、昭和56(1981)年の10月 

旅行ではなく所用で泊まる機会がありました

 

市ヶ谷ユースホステル(東京都千代田区五番町)廃業

中央線 市ヶ谷駅下車 徒歩圏 

(★56.10月5日・赤いスタンプがかすれて、どなたか、何が書いてあるのやら・・・)

住所の「五番町」はユースホステルでは珍しい「駅近」だったようです。

初めてと思いきや3年前(昭和53年)北の地在住時に訪れていたとは、、、忘れるものです(上京目的も、、、)。

3年後隣県在住での目的は「会社訪問にて。オークラ、ニューオータニ頭痛。」(ユースホステルスタンプ帳裏書き)。

事前に北の地で見に行った3か所の事業所では「専門卒は採用していない」とか「なんだおまえは?」と言われた中、親身になって採用の話をしていただいたところがありましたが、いかんせんビル上層部に客室数二桁の規模で将来性を案じ断念しました。

その後その事業所はほどなくして閉館。

だいぶたって駅前の「専門卒は・・」も閉館・解体。

それから高いビルの「外資系」ができ、地元資本の「なんだおまえは?」は今でも残っています。

ユースホステル宿泊翌日の会社訪問では、メインストリート(廊下)から扉の開いた大きな宴会場が丸見えで、係りの方が「自負しております」連発の事業所は遠慮して決着しました。

 

入社後出来のあまりよくない「元北の住人」は20代のうちに職場を去りましたが、ユースホステルを含む宿泊業界はその後だいぶ様変わりしたようです。

今や外資系の事業所が都市部やリゾート地に押し寄せ、元の職場も二つあった建物を解体、一つにして名前を「Tで始まるアルファベット化(漢字ひらがなカタカナ不使用★訪日客向けと思われます)」「高級路線」で泊まる機会は限りなくなさそうです。

 

ユースホステルは現在「東京セントラルユースホステル」という、「飯田橋駅隣接・セントラルプラザ(ビル)の18階19階」に宿があり、東京ドーム・千鳥ヶ淵・皇居が近く盛況なようですが、はたして利用する機会は?、、、限りなく、、、。

 

訪れた宿の数「66」のうち

廃業した数58
今も営業中8(うち休館中2)