半島で盛業中の個人病院に月1で行けば、聴診器で心音聞いて一言「薬出しておくから」の2.3分でもない「30秒診察」に、地方医療の激務さ(?と言っておきます)を見たへき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月21日(月)
フランス⇒スイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在19日目。
(地図と写真と小文字の文章はグーグルマップより)
本日はいったんスイスへ戻り、夜行列車でオーストリアへ戻ることになりました。
インスブルックのユースホステルに食料を入れたビニール袋を忘れ”20分のジョギング”をしたので、買物も早々に駅でユーレイルユースパス(西ヨーロッパ周遊券)に日付を入れてもらい、8時52分発のスイス・サルガンス(地図↓↓・リヒテンシュタインあたり)行に乗り込みました。
ユーレイルユースパスはヨーロッパの33か国を列車で自由に移動できる、27歳以下が対象のチケットで、使用期限を選択できます。
2等・2か月間有効な場合、現在は約10万円ほどに値上がりしています。
これに対して、ユーレイルパスは28歳以上のためのパスです。
これらの”乗り放題パス”は、鉄道ファンにはかえって動き過ぎるきらいがあります(*食べ放題のように)。
ゆえに、もし2度目があるならその時は”滞在型”がいいなと思いつつ、2度目はないものと覚悟すれば周遊するしかない旅でした。
乗り込んだ国際列車は1等1両2等1両、多方向1両の計3両(*少ない・・・)。
かなり混むなか、晴れ間広がる大空にスッキリとした山並みが目を引きました。
(沿線)
(沿線の都市)
コンパートメント(*6人部屋)のバックパッカー4人(*カナダ2・スペイン2)は同じ思いなのか写真を撮っています(*フィルムカメラで)。
やがて列車は”歩きとバスで通過した”リヒテンシュタインを通ること2時間40分、スイス・サルガンス乗り換えで一路チューリッヒ(地図↑↑・中央)へ・・・。
一度見た景色も反対側から進んで見ると(*違った角度)またおつなものです。
(沿線)
13時47分。
5時間近くかかって着いたチューリッヒの駅から行く日本人向け旅行事務所にバックパッカー宛ての絵葉書が一枚届いていました。
それはドイツの友人からのもの(*だいたいいつ頃どのあたりを回るか伝えてある)。
今ならスマホメールで容易にやり取りできますが、当時は手紙やはがきをこういった事務所や大使館で受け取っていたのです。
ただし、重いリュックで駅徒歩45分、往復90分はだいぶ体に効きました。
(チューリッヒ”駅前通り” トラム・市電の乗り降りに段差なし 人々は自由に横断する)
両替所で1ドルをスイスフランに替えたのは、物価高の国で数少ない日本より安くておいしい”フルーツヨーグルト”を食べるため。
前回1ドル1.83スイスフランが今回は1.7、7%のドル安(*もらうスイスフランが少ない)。
(便せんメモより)「各種フルーツヨーグルト500mlが1フランちょっと(約100円)で、そのおいしさが忘れられず1回で食べてしまった・・・」
通貨単位はオーストリアシリングで1ASシリング=約12~14.4円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
16時。
スイスで一番速い路線(1時間あたり100㎞以上進む)に63分乗れば首都ベルン(地図↑↑・左)に到着です。
(現在のベルン旧市街)
ベルンはスイスの首都で、蛇行するアーレ川のほとりに築かれた街です。その起源は 12 世紀に遡り、アルトシュタット(旧市街)には中世・12,13世紀の建築が保存されています。
かなり起伏のある街にたくさんの人・人・人。
広場で「大きな駒のチェス(の対戦)」を見ていたら、だるさもあってのんびりぼんやり時間が過ぎていきました。
18時45分。
北方バーゼル(地図↑↑・中央)行で73分すればライン川のほとり、スイスとフランスに面する国境の街へ到着です。
(バーゼル)
バーゼルは、スイス北西部のライン川のほとりにある都市で、フランスとドイツの国境の近くに位置します。中世の街並みが残る旧市街や大聖堂ここにも・・。
”夜の街歩き”は遠慮し、次に乗った夜行列車はI.C(インターシティ)、国際列車。
がらがらの車内、空き過ぎる心配をよそにチューリッヒ中央駅でバックパッカーの山・山にあっという間に座席は埋め尽くされ、コンパートメント(6人部屋)は一気に5人に・・・。
(メモより)「”その後”はもうどうでもよくなるくらいすごかった」
「2人は酒を”外(廊下・通路)”で飲むと人が変わり」
「1時過ぎに酔いどれおっちゃんがルーマニアの悪口を言っている」
「真夜中に歌は歌うは・・・」
なぜルーマニア?
それは、この東行きの列車が朝ウィーンに到着後、隣国ハンガリーを通り、翌朝隣国の終点ルーマニアの首都ブカレストまで行く国際列車だったからにほかなりません。
なので”東側に行く車両はボロボロ、、、”。
車両のボロさは置いといて、ここでも”ああ、今夜の夜行も眠れない・・・・・。
つづく