X(旧ツイッター)でWall Street Silverさんによると、カナダのホッケーアリーナで売られている写真の"フライ(フライドポテト)"は7.99カナダドル!(★880円!!)
シュリンクフレーション(値段そのまま、中身が縮小)だと。
一本いくら〜?
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月24日(木)
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ滞在3日目。
(地図と写真と小文字の文はグーグルマップより)
7月から8月にかけては観光シーズン真っ盛り。
バカンス大移動で観光客が押し寄せる有名都市ミュンヘンのユースホステルもその例外ではありませんでした。
宿泊や連泊受付の長い行列・施設内の混雑・騒々しさ等・・・。
そのことが関係しているのかいないのか、昨日ドイツの友人から受け取ったハガキを紛失し、今日はユースホステルの地図がない・・・・・。
部屋はドミトリー(大部屋)なので、そこには紛失以外の可能性もありました(*ベルギーでカメラを取られ警察を呼んだ奴がいた)。
(便せんメモより)「夏バテかボケか、はてまた・・・」
「しんどかったユースホステルを脱出する」
やっと、郵便局にあった電話帳で探した番号(*ドイツの友人宅)に電話をかければ、出たのは中年女性(*声)で”ドイツ語”しか通じないので話が通じませんでした。
あれは友人のお母さんだったのか・・・?
ひとまず近くまで行ってしまえ、と9時50分発、ミュンヘン⇒ハノーバー行I.C(インターシティ・都市間優等列車)”ドラヒェンフェルス/ドラッヘンフェルス”「ドラゴンの岩山」に乗り込みました。
(ミュンヘン~シュトゥットガルト 途中の街 アウグスブルク)
約2時間あまりの間に天気は曇りから雨、雨から晴れ、晴れからにわか雨と目まぐるしく変わりました。
(メモより)「沿線はフランスの盆地とオーストリアの山間の景色を再現したかのよう」
(沿線)
(沿線)
12時2分に着いたシュトゥットガルト中央駅では”I"(インフォメーション)でさっそく案内書をもらい、”この街のおおよそ(概要)”をチェック・・・。
(行き止まりの駅 シュトゥットガルト中央駅 建物中央に赤い「DB/ドイツ国鉄」のロゴ)
シュトゥットガルトはドイツ南西部のバーデン ヴュルテンベルク州(*州は国内に12)の州都。ドイツの主な産業都市として知られ、メルセデス ベンツやポルシェの本社と博物館(それぞれ入場料2607円・810円)があります。
(メルセデス・ベンツ博物館 デザインがすごい)
(ポルシェ・ミュージアム デザインこちらも)
車好きなら一度は立ち寄りそうな場所でしたが・・。
ひとまず、”15時半オープン”のユースホステルに荷物を置いて街歩き・・・。
(メモより)「それがまた大きい!(街)広い!メインストリート」
平日の人通りは激しく、”KINO"(映画館)もちらほら・・。
やたら衣料品店が多く、その割ににぎわっているのがとても不思議でした。
反対に”カフェ”のたぐいは少なく、皆さんはもっぱら街頭で”買った”ホットドックやピザ”(2.5DM/ドイツマルク・200円)をほおばっていました。
通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
国ごとに”違い”は結構あるものです。
(屋外イベントが開かれる広場)
”違い”と言えば、車窓から見た”工場の煙突や発電所”は今まで通って来た国には少ないものでした。
きっとそれはそのまま”国家の成り立ち(産業等)”を表しているのでしょう。
(街角のトルコ料理店 移民はこの当時から多い)
街の”買い食い”を見たせいではないのですが、やっと見つけた小さなスーパーで買ったソーセージ(1本入り・1.7マルク・140円)はどうも”温める(ゆでる・焼く)必要”があったようで・・・やってしまいました(*ユースホステルにはキッチンがないので調理できない)。
夏休みで書き入れ時のユースホステルに戻り、おおぜいに混じって”無事”受付を済ませ向かったドミトリー(大部屋)。
今夜は6人部屋でしたが、珍しくイタリア系アメリカ人2人と同室し、”(こちらが)つたないながら会話”が弾みました。
会話の内容はメモにはなく、いったいなんだったのやら・・・。
(メモより)「やっとゆっくり眠れそう」
坂道の階段をいやというほど登った先にあるユースホステルから見る夜景は、行き止まりの中央駅を中心に”色づき”ネオンも数が多い・・・。
(夜の中心部)
「イギリスの”白とオレンジ色の街灯”とは全く違う」
華やかな街の色は日本の色となんとなく似ていて、妙に落ち着くバックパッカーでした。
つづく