(6月 公園の東屋を抜ける風)
毎月配布の「社協(社会福祉協議会)だより」の「生活支援体制整備事業」で某地区民交流サロンで生まれた「麻雀の会」は男性の集まりの場。
先日報道された大都市圏の男女年齢分け隔てない「麻雀の場」との差を感じる、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月10日(日)
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ西部からオランダ・アムステルダム再び・・・。
(地図と写真はグーグルマップより)
今まで訪れた国の中ではアジア人や黒人の姿も街でよく見かける(*移民が多い)国、オランダ。
植民地時代の名残りなのか、インドネシアのナシゴレン(チャーハン似)の缶詰がスーパーの棚にあり思わず手が出そうになりましたが、重量級に上がりっぱなしのリュックサックを超重量級にするわけにはいきませんでした。
昨日の鮮烈な思い出を胸に、10時過ぎの国際列車に同宿でロンドン滞在3年目のマレーシア人労働者と乗り込みました(*彼はバカンス休暇中)。
(便せんメモより)「2度目のオランダ、1泊2日に悔いはなし」
列車は一路西ドイツの北の街ハンブルク(地図↑↑↓↓・右上か右下)へ、は長く遠い道のりでした。
(地図を左中から右上へ)
(ベネチア/イタリアのように限りなく平らなオランダ沿線の町 高潮や津波も限りなくなさそうな造り)
(オランダ沿線の町 山はどこに・・)
ドイツ車両に乗ってアムステルダムから3時間。
国境を越えたところで乗り換えれば、次に乗ったI.C(インターシティ・ドイツの優等列車)はすごい車両でした。
(メモより)「最高速度200㎞、122㎞を51分で走る」
(北ドイツ途中の街 ブレーメン(地図↑↑・右上) 人口56万人
*グリム童話”ブレーメンの音楽隊”で年を取った動物たちが自由ハンザ都市・ブレーメンを目指して旅する物語で有名です)
I.C(インターシティ・ドイツの優等列車)は北ドイツの平原をほとんどぶっ飛ばし、オランダからの酪農風景がそのまま2時間続いたあとハンブルク中央駅に到着。
絵葉書(↓↓)にある港の見える川沿いのユースホステルにリュックサックを下ろすことができました。
(ハンブルクユースホステルの絵葉書 宿からの眺めは抜群でした)
荷物を置いたら、さっそく同部屋のアメリカ人・インド人・マレーシア人と出かけたのは宿からほど近いザンクトパウリ地区という有名な歓楽街でした。
レパバーン/レーパーバーンという東西を1㎞以上貫く大通りを中心に、表も裏も各業種の店や劇場が立ち並ぶ歓楽街。
(昼間のザンクトパウリ地区 夜はネオンが灯る)
通りに群がるセクシーショップをのぞいた後、エロスセンターという体育館の(ような)建物に行けば中に職業女性たちがいて、”交渉”するのだそう(*50~100DM・ドイツマルク・4100~8200円)。
通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
成人映画館は6~8マルク・500~660円。
1人の女性が踊る”ライブショー”は、飲み物10~20マルク・820~1640円で見ることができるようでした。
(キャバレー)
さらに男女が○○○するショーは、ドリンク1杯25~30マルク・2050~2500円でしたが、行動的なアメリカ人が”ちょっとみせて~”と言って”見学(*冷やかし)”に成功しました(→すぐ追い出される)。
(メモより)「ストリートガールもいるいる(*100マルク・8200円)」
(カジノ)
カジノで写真のようなルーレットをしばらく観察すれば、ぎりぎりまで待って赤か白、あるいは偶数か奇数に賭ければ結構当たりそうな気がしましたが・・。
この日は一週間の中でも休日で一番人の少ない日曜日だったこともあり、街は今一つの盛り上がりだったようです。
(メモより)「この日の見学会はこれにて終了~」
2日続きの”強烈な刺激”もみんなで行けば楽しい思い出になりました。
昨年5月。
沖縄/那覇市のゲストハウスで会ったドイツ人3人組(と言ってもグループではない)にどこから来たの?と聞いたら「ハンブルク」の答えに思わず頭に浮かび口をついて出た言葉が「レパバーン!」
3人は大笑い。
当時滞在したドイツ友人の名は「自分の父親と同じだよ」と一人に言われ、世代も感じました。
グーグルマップで"歌舞伎町"と比較する方の投稿によれば、"洗練された街"は今もなお健在なようです。
つづく