(業界で話題のNTT 今年のちょう落ぶりを象徴する?道ばたのこれは現役か?はてまた昭和の遺産か?)
先月の市の広報誌に載っていた新生児3人の名前は「昂大・花耶・絃」で読み方は「こうだい・かや・いと」に、読み方を知らないへき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月12日(火)
夏のドイツ滞在22日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ北部の都市ハンブルク(2枚目の地図↓↓)にこの日も滞留。
(地図と写真はグーグルマップより)
8時。
深夜帰宅者の”ガサゴソ騒動”で寝ぼけ眼(まなこ)のまま傘を差し、ハンブルク中央駅からローカル線で北海(地図↑↑・”ハ”の左/ブレーメン上あたり)を目指し北西を進みました。
フランス以来山国ばかりで、海好きはしばらく見ていない海が見たかったのです。
(ドイツ北部の平原)
寝不足でうつろな目に牛やとうもろこし畑、麦畑が広がるドイツ北部の平原。
時折舞い降りる雨にしっとりと濡れそぼる大地は落ち着いていました。
(オランダと見間違えるばかりの平地)
ハンブルクから2時間かけて着いた北海沿岸の港町、クックスハーフェン(地図↓↓・左中央)。
どこからか魚の加工場からのにおいが風に吹かれてやってきて、避けるように歩き出すも、真っすぐではない道に1時間たっても海岸にたどり着けず、北海を見ることはできませんでした。
見えたのは河口に面した港の入り江と長い堤防のみ。
でしたが、後で知ったことは入り江まで引き込まれた線路の終点が「アメリカ駅」と呼ばれ、「アメリカへ移住するドイツ人たちが列車から降り立ち船に乗り込んだ場所」ということでした。
現存する建物を当時は見事に見逃してしまいました(*鉄道ファンです)。
(アメリカ駅 HAPAG-Hallen ★Amerika-Bahnhof アメリカへの移民が国内から到着した駅 史跡 現在ガイドツアーがある)
迷わなければ4㎞先の海岸から北海が見えた、というのは今になって知ること・・・。
(クックスハーフェン 見ることが叶わなかった、現在は自然保護公園になっている北海沿岸)
しかしてブッダ(仏様)は我を見捨てず。
幸運にも格安スーパー(ALDI)を見つけ、26.6DM・ドイツマルク・2180円分の買い物をしたのは、これから訪れる物価高諸国・北欧(4か国)を考えてのことでした。
小型手帳に「(袋入り)ラーメン、カレールー」の文字。
(海岸近くに現存する格安スーパーALDI)
午後、2日前アムステルダムからドイツ入りした日に通った(通過した)街ブレーメン(地図↑↑・左下)に向かい南下すれば、雨に濡れた大地に座る牛たちの静かな景色は昼寝にはもってこいでした。
2時間で着いたブレーメンの街は予想よりだいぶ大きく、買い物帰りの”両手に荷物を持つバックパッカー”は街歩きの冒険心/探求心を喪失、Uターンして再び列車の人となり・・・。
北東のハンブルクまで急行で1時間、平原を高速で走り抜ければあっという間でした。
ユースホステルに戻り荷物を整理し軽く食事を済ませたあと、まだ見ぬ”飾り窓”へ・・・。
(ユースホステルはハンブルクの”H"左あたり、歓楽街はその上”肌色”あたり)
(ハンブルク 表道り/レパバーン 昼間 近くにはマクドナルドも)
アムステルダムと違い徒歩10分で着いた”飾り窓”は入口から中が見えないように交差する仕切りがあり、長さ約50mの通りの両側に建物が並んでいました。
(便せんメモより)「(一個人の感想では)きれいな方を見つけることはできなかった(*実際はこのようなきれいな文章ではなく)」
むしろ、周りの道路にたむろする”立ちんぼ”が多いのには驚きました。
約30人はいたでしょうか・・。
今では日本でも話題に上がる、立ってお客を待つ方々です。
(メモより)「隣の警察署は静まり返り、これも合法なのだろうか?とさえ思えてしまう」
(ハンブルク 表道り/レパバーン 夜の雰囲気にピッタリな公衆トイレ 複数個所にある)
おとといの日曜日と違い、表道り(レパバーン)はギャンブルと〇〇〇スに群がる人々でにぎわっていました。
アダルトショップをのぞけば、本1冊10~20ドイツマルク・820~1640円(*アムステルダムでは20ギルダー・1600円)。
(メモより)「見放題のビデオも8マルク・660円で安い安い」
通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
結局そのまま帰ったのですが、なんだか刺激物を見過ぎてかえって恐ろしさを感じました。
この時ふと頭に浮かんだ歌は、♪夜のハンブルク~裏通り~ 肩を寄せ合う人もなし~ 誰も恨まず濡れるのか~♪
ただあるは”通り雨”ばかりの街に、「しのび逢う恋」や「なみだも恋」はこれっぽちもありませんでした・・・(*失礼いたしました)。
つづく