(6月 山のふもと なだらかな坂が続く田んぼ道)
5月の市の広報誌に「全市一斉清掃のお知らせ・6月2日(日)午前6時から(小雨決行)」が載り、年3回のうちの1回に参加した、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月13日(水)
夏のドイツ滞在24日目。
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、北部ドイツの都市ハンブルク(2枚目地図↓↓)から北方、デンマークへ。
(地図と写真はグーグルマップ 小文字はCopilotより)
歓楽街が近いユースホステルで今一つ眠れぬ夜を過ごした翌朝。
ハンブルク中央駅まで向かい、構内の郵便局へ日本向けの小包を出したところ、(係員)「ここでは取り扱えないので中央郵便局へ行け」
この時、簡易郵便局でも受け付けてくれる”便利でありがたい国”のことは、国を出たらすっかり忘れ・・・(*都合よし)。
現在時刻8時20分、は39分発コペンハーゲン(デンマークの首都・地図↓↓)行をあきらめるには充分すぎる時間でした。
(現在のドーム型のハンブルク中央駅)
(現在、駅構内にある”駅ミッション”と名付けられた”ホームレスサービス”の建物)
充分過ぎるほどの食料を入れたリュックを背負い、入りきれない分は袋に入れ左手に持つバックパッカーは、Sバーン(近郊列車)&徒歩20分でやっと中央郵便局へ行き、用紙に記入、etc.・・・・・で終了~。
さてこれからどうしましょう・・・。
8時39分改め11時30分のコペンハーゲン行は到着が17時過ぎで、”首都のユースホステルは混んでいる(=バカンス/夏祭り)”という情報を宿で旅行者から聞いていたので、昨日検討した”半島迂回コース”に針路を取ることにしました。
ハンブルクから直接コペンハーゲンではなく、ユトランド半島(↓↓・左)を右回りで。
左の北海と右のバルト海を分ける半島は「ジュート人が住む地」という意味で、北側がデンマーク領、南側はドイツ領です。
10時26分発の国境行に乗り、途中乗り換えで港町キール(地図↑↑)へ70分。
これからしばらくの間は海が身近にあるのに、寄り道をしてまで海が見たかったのはなぜ?時間調整?
今となっては不可解な行動もわからずじまいでした。
(キール 遊歩道のある キール・ヘルンと呼ばれるウォーターフロント)
重い荷物は駅周辺をうろつく程度に制限し滞在時間は時計一回り(60分)もない中、立ち寄ったのは駅前のCOOP(生協)。
(便せんメモより)「きゅうり特大1.2DM・ドイツマルク・100円、トマト小4個(0.312㎏)0.62マルク・50円、は(これから行く物価高国を考えると)大きい」
0.62マルクと中途半端な数字なのは、陳列棚にあるトマトから好きなものをビニール袋に入れ、秤(はかり)に置いてトマト(TOMATEN)と書いてある(あるいは絵だったりする)ボタンを押して重さ(0.312㎏)と料金を確かめたあと”料金シール”を印刷して袋に貼るからです(↓↓)。
(料金シール・TOMATENトマテン・トマト小4個(0.312㎏)0.62ドイツマルク・50円)
(スイス チューリッヒの生協で量り買いしたシャンピニョン/マッシュルームは20g・0.25スイスフラン・28円でした)
たまねぎでもジャガイモでもにんじんでも1個から買えるので自炊旅行人には大変助かる仕組みでした。
日本のスーパーでも導入が検討された過去はあるようですが、素手で商品に触れる(*日本でも最近の物価高で”1個売り”が増えている)・種類や重さを量るのはお客さん/信用システムなのは”お国柄が違う”ので難しそうです。
幹線の乗換駅まで戻り、今度は国境超えの国際列車で北に向かえば、しばらくは見慣れた平原が続きました。
国境の港街フレンスブルク(地図↓↓)はデンマーク語も話され、街の名もフレンスブルク⇒フレンスボーになるとか。
(国境の港街、フレンスブルク)
列車はあっさりと国境を越えデンマーク入り、幹線で北上を続けました。
デンマークは人口約596万人で4分の一が首都コペンハーゲン、87%が都市部に住み
ユトランド半島と407の島々からなる国です
国土面積は約4万3千平方キロメートルで北海道の半分強です
国土は主に平地で最高峰が170m・・・
農業国・酪農国のイメージとは違い、現在の主要な輸出品は
1.風力タービン
2.医薬品
3.機械、器具
4.肉、肉製品
5.乳製品
6.魚
7.家具、デザイン だそうです。
つづく