先日、「ふのり(雑海藻)の開口(口開)」と言う、アワビやウニのように日時を区切っての漁があり、おすそ分けいただきました。
ワカメのように地面にへばりつくので先っぽ(写真)がどこまで食べられるか、みそ汁で試してみるへき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月6日(水)
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ滞在16日目。
(地図と写真と小文字の文はグーグルマップより)
この日、ケルンのユースホステルに連泊し向かった先は、西方、オランダとベルギーに国境を接した街アーヘン(地図↓↓左中央)でした。
アーヘンへ向かった訳は、4月に訪問したアーヘンから南東に20㎞の町ロェトゲン/レートゲンの友人アヒム宅に届いている絵葉書を受け取りに行くためでした。
現在のように携帯電話やメールがない時代は”手紙”が唯一の連絡手段と言っても過言ではなく・・・(*こちらは常に移動している/相手も移動しているか、国外の相手の固定電話に高額の電話代、は現実的ではない)。
昨夜、アヒム宅に電話すると、アメリカ・ニューメキシコ州アルバカーキで仕事中のアヒムに代わり電話に出た住人は(英語で)「アヒムの部屋にも他の住人が入り、4階建ての家に余分なスペースはない」とのことでした(*そういう意味で電話したのではないのに)。
ケルンから急行列車で40分のアーヘンに着いたのは、ケルンと同じく肌寒い夏の朝でした。
さらに、ユーレイルユースパスが効くかもしれなかったバスに4.5DMドイツマルク・370円を払い、ロェトゲン/レートゲンまで50分(*約20㎞の平らな田舎道)。
どうも”遠回りルート”だったようですが、”言語”がよく理解できなければたまにありそうなパターンでした。
(便せんメモより)「終わり(終点)よければ(正しければ)すべてよし」の心境・・・。
通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
(4月、二つの国境の街アーヘンとロェトゲン/レートゲンの地図と話しはこちら↓↓)
国境の小さな町は相変わらず静かに佇(たたず)んでいて、主のいない家で旅先で会った人から届いていた絵葉書をもらい早々に退散しました。
そこにアジア人(あるいは個人)差別があったかどうかは不明でしたが、4か月前に会った男性の態度は実にあっけないものでした。
(便せんメモより)「主がいないせいか素っ気なくあしらわれてしまった」
帰りのバスを待つ間、試しにヒッチハイクをしたら5分で捕まりあっという間にアーヘン市内・・・。
いざとなったらドイツ語がだめでも「アーヘン!(*発音は難しい)」と行先を伝えればOKなのかもしれませんが、このあたりは国境が近いので英語やフランス語を話すドイツ人も多いのが幸いしました。
アーヘンの街では工科大学のメンザ(学生食堂)で昼食を(*一般人も出入り自由)。
最安メニュー・1.8DMドイツマルク・150円のは、
・鶏肉のソースがけ
・ふかし芋(またもやいも!、そこにパンはない)
・リンゴムース
・キャベツのドレッシングがけ
(現在のアーヘン工科大学)
午後。
ケルンまで戻り街歩きすれば、さすが大都会に人・人・人・・・。
(メモより)「日中のいい陽気にライン川のほとりで芝生に寝ころんでのんびりしてしまった」
(ユースホステルのあるケルン・ドイツ地区から ライン川を挟み夕陽に映える大聖堂)
ケルンはドイツ西部のライン川流域に位置し二千年の歴史を持つ都市。
国内4番目の人口107万人で地域の文化の中心です。
再建された旧市街の真ん中にゴシック建築最盛期建立の、2 本の尖塔を持つ大聖堂があります。
大聖堂はきらびやかな中世の聖遺物と塔の上から見るライン川の雄大な眺めで有名です。
隣のルートヴィヒ美術館には、多数のピカソの傑作や20 世紀の美術作品が展示されています。
ローマゲルマン博物館は、ローマ時代の遺物を収蔵しています。
夕刻、ユースホステルに戻り、頼んだ夕食は6DMドイツマルク・500円で、
・肉ボール
・フライドポテト
・ササギをゆでたもの(*缶詰)
昨日が「肉ボール・野菜の串刺し・ライス(*珍しい)・ササギをゆでたもの」だったのでなんとも味気なく、選択を誤ったかもしれないと思うバックパッカーでした。
夏休みのこの時期、”学生盛り”の宿は「日本ユースホステル協会」主催旅行の団体さんと日本人(個人)がちらほら、、、。
有名観光地の駅チカ宿はこの日も大盛況のまま夜は騒がしく過ぎていくのでした。
(現在のケルンユースホステル 大人数収容)
つづく