(6月中旬/昨秋に続き初日から雨のキヤンプ場)
県央から県境まで130キロ、何軒かスーパーに寄れば"マスク率"8〜9割越え?に、「もうはずしていいですよ!」と政府が言わない限り永遠に続くかも?と思うへき地県境民です。
そういえば、「コロナにかかった」もまったく聞かなくなり、、、。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
8月9日(土)
フランス⇒スイス⇒オーストリアから北上、ドイツ西部、デュイスブルク(2枚目地図↓↓・デュッセルドルフの上あたり)からオランダ・アムステルダム再び・・・。
(地図と写真はグーグルマップより)
ドイツ滞在19日目。
西部、デュイスブルク(地図↓↓・デュッセルドルフの上あたり)の大規模ユースホステルで従業員さんや団体さんで落ち着かない2泊を過ごした後の決断は、”隣国オランダ”再びでした。
ドイツ西部からアムステルダムまで、急行なら2時間から2時間半なことも決断を後押ししました。
ライン川沿いの平地を進む国際列車。
フランス・ドイツ・オランダを北に流れ北海に注ぐ川の全長は1233㎞。
このうちドイツだけでも698㎞あります。
(沿線 地図では惰行しているライン川 川幅はだいぶ広い)
やがてあっけなく国境を越えオランダに入れば、列車はなだらかどころかますます平地を進んでいきました。
そこはいかにも自転車での移動が似合う地形(*自転車先進国です)。
(オランダ 沿線 フラットそのもの)
14時過ぎに見慣れたアムステルダム中央駅へ着けば、駅と駅前・周辺は4か月前(4月)に訪れた時とは打って変わって人・人・人!。
(便せんメモより)「これではごった煮だ!」(*バカンスシーズン真っただ中です)
(アムステルダム中央駅 早朝でしょうか?
1889年開業 まるで宮殿のよう 塔のどこかのてっぺんにある風見鶏は「風の国オランダ」の象徴です)
(4月下旬のアムステルダム、中心部の地図と写真、ハイネケン工場見学など↓↓)
15時すぎに「ユースホステルではない(*協会に加盟していない)、クリスチャン・ユースホステル」に宿を確保しゴッホ美術館に行こうとすれば、そこはだいぶ離れた場所で営業は17時まで・・・。
明日の日曜日は13時から17時までと、どうもタイミングが合いませんでした。
(手紙やスケッチも展示するゴッホ美術館
いかにも盗まれたり傷つけられたり、今なら”環境活動家”にペンキをかけられる可能性も?)
市中心部だけでも他にも見どころ満載!
ちょっと見ただけでも、
「アンネ・フランクの家」
「ユダヤ歴史資料館」
「救世軍博物館」
「海運博物館」
「国立美術館」
「大麻博物館」
「動植物園」
「風車」
「王宮」
などがバックパッカー徒歩圏内(*あるいはトラム・市電で)にありました。
(絵葉書 #アムステルダム王宮とトラム・市電
オランダ黄金時代の豪華な宮殿で王室行事の会場)
それでもそれらを上回る興味があったのは、やはり”飾り窓”でした。
(係留された船で生活する人もいる運河)
中央駅正面から街の中心に向かい1㎞かそこら歩いた先にあるのが歓楽街”飾り窓(Red Light District・オランダ語で「デ・ワレン(the walls)」)”です。
市内で最も古い、14世紀から存在する各種の建物や曲がりくねった道路と運河。
これらが夜間の照明で何とも言えない雰囲気を醸し出しています。
そこでは合法的な売春婦たちが300の部屋の赤く照らされた窓の後ろに立っています。
(入口付近で彫刻がお迎え)
4月に一度歩いて回ったことによる”安心からの油断”がこのあとの大失態につながりました。
夜の灯が輝く通りを上ずった気分で歩いていると見かけたのは「30㎝四方のカーペットの上に、ケース(ふた)のないマッチ箱をさかさまにしたような大きさの3つの箱(紙製)と紙を丸めた玉が置いてあり、どこに玉を隠したか当てる」という非合法賭博でした。
しばらく見ていると実によく当たるので、つい100DM・ドイツマルク・8200円という大金を賭けてしまったのです(*隣国ドイツの通貨もOK)。
通貨単位はFr/オランダギルダー(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1Fr=約78円
通貨単位はドイツマルクで1DMマルク=約82円(現在はユーロ)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
(運河を挟む飾り窓(Red Light District・オランダ語で「デ・ワレン(the walls)」)
ところが、自信満々で賭けた結果は「外れ!」
おかしい・・・・・。
しばらく見ていると、他の方は当たったり外れたりしていましたが自分は実によく当たるのです。
そこで、今度こそ大丈夫!と再び100DM・ドイツマルクを賭けてしまいましたが・・。
結果は言わずもがなでした。
その時、客の一人(男性)が”俺が見張っていてあげるよ”と言ってくれたので、今度こそもう一度!今度は150DM・ドイツマルクを賭けてしまったのです。
結果はもう言わなくてもおわかりですねでした。
賭博屋二人と客二人がぐるになり、”サクラ”の客二人が勝った負けたを繰り返していたのです。
当らないわけは「こちらがお金を出してマッチ箱から目を離しているスキに紙玉の場所を移動していた」から。
こうして30000円(約10日分の滞在費)近いお金が30分の間になくなってしまいました・・・。
よく観察していると、彼らは場所と人を変え同じことを繰り返しているようでした。
再度訪れることができた、少しは勝手知ったる街につい気が大きくなり、スケベ心を起こしたばかりに高い授業料を払うはめになりました。
(運河を挟んで両側が飾り窓のメインストリート)
つづく