三陸 海 旅 つれづれなるまま

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昭和の東西ヨーロッパ行 23 西ドイツ国境の町から ちょこっと隣国 オランダ アムステルダム ハイネケン工場で3杯 No.514

9月、配布された各種広報誌13種類のうちの一枚は、事前にお知らせ(回覧等も)がなく8月参加できなかった「草刈り案内」でした。

手書きの大きな字で「10月にあります。8月と同様うんぬん」と書いてあり、またまた惑わされる、へき地県境民です。。

回覧板の回し方一例を書いて見せても「次どこに回したらいいかわからない回覧板」がいまだ届き、おそらく今後も?

(何回か”回覧板が届かない”と申し出ましたが根負けです)。

 

今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

4月23日(水)

西ドイツ西部、国境の町の友人宅に荷物を置いて、1週間の隣国オランダ訪問最終日。

最終日。

アムステルダム、安宿の日本人3人組はトラム(市電)を乗り継ぎ”ハイネケン(ビール)”の工場へ。

あの、緑色がトレードマークのビールは、国立美術館(地図中央↓↓)近くの古い醸造所を利用した博物館で、体験型ツアーの後に試飲ができます。

たくさんの人が集まり、「寄付」は1Fr=80円でOK。

通貨単位はFr/オランダギルダー(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1Fr=約78円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。

 

(便せんメモ)「オランダなまり?の英語はよくわからないのが都合いい」

「先に行った組はもう”ビールの人”」で自分もスナック菓子をつまみながらわいわいがやがや・・・グラスビールを3杯・・・(おいしく飲んでしまいました)。

 

アムステルダム中心部)

(試飲会場の三人組)

 

現在ハイネケン工場・当時とはだいぶ違います グーグルマップより)

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNz6Zb1hM5lSx6aWKnq3Zr1cQHviEZxUadFIrl_=w408-h306-k-no

(メモより)「上の階からはアムステルダムの街が良く見え、気分も上々~(だったようです)」

 

アムステルダム中央駅前広場にて)

 

酔っぱらい日本人同士、連絡先を交換し”解散”~なんてやってたら、12時半の列車に間一髪で”乗り遅れ”。

14時発に乗れば”微妙に違う方向行き”・・・。

ケルン(西ドイツ)に行くという、昨晩の一日本人女性を連れて困りましたが、”途中乗り換え”でこの”課題をクリア”することができました。

 

18時、アーヘン(西ドイツ)着、バス40分で滞在先の町ロエトゲン/レートゲンへ今回も無事生還。

このあと、家主アヒムの友人宅へ連れていかれると、なんとそこには”日本食”が!!!

 

::: お品書き :::

・赤飯

・味噌汁(ねりみそによる・昆布、油揚げ、ネギ入り)

・せんべい

・のり

・野菜のあんかけ

・タラ(魚)の天ぷら

・高額の日本酒まで!!

 

うまい!うまい!!を連発し、すっかり”おもてなし”されてしまいました。

”シェフ”の彼は、アーヘンなどで食材を手に入れ、日本訪問はまだないとのこと。

次回は豆腐まで作る予定だとか・・・。

西ドイツは概ね親日国なのを感じていましたが、どえりゃあ(すごい)人もいるものです。

そこにはやはり、第二次世界大戦の同盟国同士による親しみがあるのでしょうか・・。

双方、基本的にまじめな人が多いことも影響しているかもしれません。

 

(メモより)「うまかっちゃんでめでたしめでたし。寝た」

「日本円は強い!変わらない高さ」

(対して)「うえーんドル 泣いドル 死んドルよ」

(*ドル安は持参したドル札の現地通貨への両替に響く)

 

当時は現在のドル円関係とは正反対で、旅行しやすい時代。

現在は”ドル高/円安でドルへの両替も不利・さらに今後も円安は進む”と言われています。

一方、日本国(政府)にとって”円安”は都合がいいこともありそうです。

こんないい時代もありました・・・・・。

 

 つづく

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNsGse7pcNEcCZ81lPN7CTQklPujl4lKRo6hCna=w408-h306-k-no

アムステルダム グーグルマップより)