(9月 低気圧が去った翌朝のモヤモヤ〜・三陸沿岸部・国道45号線)
お盆に渋谷でJRと私鉄、私鉄と私鉄を乗り換えたら、工事中/上下左右の移動で方向も場所もまひ、結果「かかった時間10何分?」に驚く、へき地県境民です。
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
4月18日(金)
西ドイツ西部、国境の町の友人宅に荷物を置いて、1週間の隣国オランダ訪問2日目。
この日は「7日間有効の国内周遊券」を使うべく、半日ローカル線の旅(地図↓↓)。
目的地はアムステルダム北方、陸の突端デン・ヘルダー(↓↓)です。
”ユースホステルではないユースホステル”から駅まで歩いて感じることは、昨日も同じ、”港町ゆえ実に様々な人が多い・街角にたむろしている・Gパンに革ジャン姿・タバコ・・・など”。
(便せんのメモより)「活気があって不気味」
アムステルダム中央駅発4両編成の電車はひたすら”平原”を走り、途中から2両/各停(各駅停車)になる「京浜急行のパターン(*と書いてありましたが・・・)」
「オランダにも2階建て電車」
「車掌はよく来るがベルギーほどじっくり切符を見ない」
なんと、鉄道にも可動橋(跳ね橋)があり、どぶ川のような小川を大舟が通っていく・・・。
時折見かける”風車”は回っていたり、いなかったり・・・。
1時間半かからずに終点のデン・ヘルダーも港町。
(最近のデン・ヘルダー・グーグルマップより)
右にアイセル湖(エイセル湖)・左に北海を臨み、海軍の巡洋艦やヨットを見かけるに至り、ここがオランダなことを実感させられます。
このあたりまで来ると、”湖をまたぐ長い、40㎞はありそうな一直線のA7道路(地図↑↑)”が目につきます。
帰路、途中乗り換えでアムステルダムのお隣”Haarlem”という町につけば、やはりそこは”ハーレム”にあらず、”ハールレム”でした。
「教会の鐘(カリヨン)が5分ごとにメロディーを奏(かな)で(=にぎやか~うるさい?)、”(スコッチウィスキー)ヘイグ”が1600円で買える町だった」
アムステルダム中央駅から25番トラム(市電)に乗り、降りた眼前にあったのは、2年前まで在籍していた圏央のホテルのチェーン店。
圏央の客室課で一時期一緒に働いて、希望が叶い移動した元先輩(当時はキャプテン/ワンフロアーの責任者)は幸いフロントにいて、建物の外でしばし談笑することができました。
双子のお兄さん(元先輩)と分かれた弟さんは”赤坂・紀尾井町”のホテルへ勤め、在職中一度だけお邪魔したことがありました。
(元先輩)「○○(自分の名前)、5000円出せるか~?」と言われ、そっくりな弟さんが働く夜景のきれいなバーで生ピアノの演奏を聞きながら至福のひと時・・・一生の思い出をありがとうございました。
思えば”5000円”は従業員割引か同業者割引だったのか・・・。
また、後日静岡県の同級生がマネージャーをしていたホテルのレストランで、コース料理をいただいた際にも「○○(自分の名前)、5000円出せるか~?言われたのは偶然だったのでしょうか???
元先輩との話しの中で、
(元先輩)「日本人も1か月のバカンスを取る(法律上の義務)・自分は(物価の安い)ポルトガルによく行く」
(今では信じられない内容)「ヨーロッパは貧しい(*ホテル業務上のトラブル多数)、危険だ」
「英語の勉強になっても、きついだけでホテルの勉強にはならない」(在職中から容易に想像できました)」
と言っていたことが印象的でした。
8月に3年半ぶりの帰国、たいへんご苦労様です。
「アンネフランクの家」を始めとして「ゴッホ美術館」「○○の館」など、見どころ多き街、アムステルダム(ただし長期周遊のバックパッカーは”厳選”が必要・・・)。
***街角の気づき***
・中古車は古いのばかり(3年前のがせいぜい新しい)
・ベルギー、ドイツと共に”サッカー場”が圧倒的に多い
・やたら鳥がいて、比較的”人なれしている”
・”ロッキー4”などの映画は10Fr(オランダギルダー=780円)
・クレジットカードはVISA・マスター・アメックス・ユーロカードなどで、JCBは見つけると感激するほど(少ない)
(便せんメモ)「VISAは偉大、99%以上の店でOK JCBはKOくらう、くそを踏む(ワンちゃん多きこの国にもそこかしこ・・・)」
通貨単位はFr/オランダギルダー(#ユーロ加盟国は現在ユーロ€)で1Fr=約78円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
つづく