県でいつも1.2位を争う人気の道の駅「上品の郷(じょうぼんのさと)/石巻市」
片隅に茶色の日帰り温泉があります。
(駐車場の端にあった、”貸し切り”足湯 源泉が鉱泉のように低いので”ぬるい〜”)
パソコンの通信速度が遅く写真の多いブログがなかなか見れない、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
7月5日(土)
フランス⇒スイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在3日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
西部から夜行列車で東部の首都ウィーン(地図↑↑・右)到着、も週末土曜は閉店の街。
ならばと鉄道ファンは”周遊パス”で再びローカル線へ・・・。
(国際列車や近郊列車が行き交う 現在のウィーン中央駅)
臨時急行で来た道をウィーン左隣(西方)の街ザンクトぺルテン(地図↑↑)まで戻れば、”土曜は午前中のみ営業”の店がある”買い物通り”を発見!
人混みにやっと30度はいったか?という暑さを感じながら、(便せんメモより)「Tシャツのみでノーブラの方が少なくない!」カルチャーショックを受ける、バックパッカーでした。
(ザンクトペルテン 街中)
ここからローカル線で西にドナウ川沿いの平地を進めば、(メモより)「北海道か?山梨か?」
ドナウ川を川下り・川上りの遊覧船が行き交う様はのんびり眺めていられます。
(メモより)「”青きドナウ”という曲はよく知らねど、目の前の川は泥の川」(*雨後だったのか?)
(ドナウ川と遊覧船)
沿線は古城に麦畑やブドウ畑、ブドウの蔓(つる)でおおわれた駅などが点在し、川の景色と相まっていい感じでした。
(ドナウ川とブドウ畑)
川幅が狭い所々に海水浴ならぬ川水浴をする人々の姿が目立ちます。
名も無い駅で降り河原まで下りれば、やはり水はにごり水でした。
そして沿道に車・バイク・バス・・・(*週末です)。
それでも沿線の町や村はいたって静かな佇(たたず)まいを見せ、山肌に広がるブドウ畑は”ワインを飲みたい”気持ちにさせるには充分でした。
それにしてもローカル線の列車は面白く、幹線の電気機関車(電化区間)+客車からディーゼル機関車(非電化区間)+客車へ変わると、ほとんどが最後尾に荷物列車付でした。
さらにレールが標準軌(幅1435㎜・日本の新幹線と同じ)だというのに時速30㎞ほどでトロトロ・・・。
”超スローカル線”を充分堪能し、幹線駅ザンクトバレンティン(地図↑↑・中央”シュタイア”上)まで行き、乗り換え30分でユースホステルのあるシュタイアへ着いたのは18時を回る頃でした。
(ドナウ川沿線の町)
それなのに、目指すユースホステルガイドブックにあるはずの宿は、なんとか見つけた街の地図の住所に行ってもない!
そこでガイドブックの番号に電話するとつながったのですが”ドイツ語”で英語はだめ~。
今思えば「今日は泊まれますか?(ドイツ語)」を覚えておけばよかったのです。
そうすれば「ヤー(YES)・ナイン(NO)」くらいは聞き取れたはずでした。
(*英語が話せますか?とドイツ語で伝えても、相手は話せないので✖)
というわけで、”♪あ~ユースホステルは今日もだめだった~♪”、となれば今夜も”移動する宿”、”夜行列車で今度は東から西へ”・・・(*周遊パスのおかげです)。
始発駅ウィーンまで戻る時間はないので、本日通過したウィーン左隣(西方)の街ザンクトぺルテンまで列車を乗り継いで戻り、夜行列車に無事乗車することができました。
乗り継いだ急行は短時間でしたが、列車名はあのオーストリアの英雄”モーツァルト(作曲家)”・・・(*やはりありました)。
夜行列車は幸い前日に続き空いていたのですが、コンパートメント(6人個室)に一人寝は昨夜以上に寒さが募り、またまたシュラフ(寝袋)の出番だったのです。
さてさて明日はどこで降りようか?
さして深い考えもなく、あるのはすぐ来た深い眠りでした(*好きなところに行けるのは”周遊パス”のおかげでしたが、本当にこれでよかったのか・・)。
つづく