三陸 海 旅 つれづれなるまま

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昭和の東西ヨーロッパ行 99 地味と素朴さにひかれ オーストリアの田舎 No.590

1月下旬までの1年間の各国通貨の強弱を比べると「一番下の円(JPY)がダントツで一人負け」逆に「一番上のスイスフラン(CHF)がダントツで一人勝ち」なことに、かつての「有事の円/スイスフラン」から消えた(脱落した)円(円安を実感する、へき地県境民です。

どんどん円は目減りして、どうりで海外旅行に行きづらくなったわけです。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

7月6日(日)

フランススイスから小国リヒテンシュタインを抜けてオーストリア滞在4日目

(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)

 

ウィーン左隣のザンクト・ペルテンから周遊パスを使い夜行列車で過ごした翌朝。

6時25分、危うく寝過ごしそうになりながら西部インスブルック(地図↑↑・左)に再度降り立ちました。

気(け)だるさを抱えたまま、一昨日の台所のあるユースホステル(*ドイツ語応対で泊まれなかった)”はあきらめ”駅徒歩5分”のユースホステルへ直行すれば、朝からチェックインできたのは幸いでした(*朝から入れるのはたいへんありがたい条件)。

 

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インスブルックの街中)

 

(便せんメモより)「ユースホステルは大学の建物か? 3階にバスケット場 寝室以外の”空間”が多い(写真下段↓↓)

 

「早速シャワーを浴び、Tシャツの洗濯までして9時に出る」

 

日曜日。

まるで土日の官庁街のごとく静かな街。

店の閉まった週末の街再びに、ならばと鉄道ファンは再び鉄道旅をもくろんでしまいました。

それは今までの”ほぼ一筆書き”の旅から”乗り放題きっぷ”に歓喜する鉄道ファンの行動そのもので、はたから見れば病的そのもの。

 

9時40分発の急行で再びウィーン方面に行けば、小型SLの起点駅では何人かの日本人が降りて行った様子に、旅行本「地球の歩き方(*たまに”地球の迷い方”になる)」の力を実感させられました。

詳しい地図があるわけでもないのに気軽に鉄道に乗れるのは”周遊パス”のおかげ。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNsToy1FtHg-buTGOUYagU98VRTVmby8nLqBIPp=w506-h240-k-no

ツェル・アム・ゼー ツェル・アム湖

11時40分、2時間かけて着いた湖(地図↑↑中央)は観光客で一杯!町も一杯!!

それでも時は日曜日。

(メモより)「店はキオスク(売店とレストラン少々」

時間もかからず便利で割安な”テイクアウト”はなく・・・。

 

目的はここツェル・アム・ゼーからレールが狭軌(1067㎜・JRと同じ)のローカル線に乗り終点(地図↑↑・中央 オーストリアの”オ”付近)まで往復することでした。

 

13時21分、真新しい2両のディーゼルカーは東に向かって山の間に入り”とことこ走る、車は飛ばす/軽々と追い抜く”・・・・。

「緑の山とにごり川、しかして湖は澄んでいる」

山肌の両側にリフトゴンドラが複数走り、ウィンタースポーツのにぎわいが目に浮かぶよう・・。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipMDcs1hhSLqvXYVWxh7bwYeB1e_qLGt6QVM9Qnf=w408-h305-k-no

(沿線 冬はいかにもスキー場?)

 

山国の自然いっぱいの山の中をディーゼルカーノロノロと進むうちに、”なぜオーストリアが落ち着くのか?”という想いが湧いてきました。

それは、スイスの”唯一無二の景色”と”観光客好みの舞台装置(家・店・駅)”にどっぷり浸(ひた)った後に訪れた地味な国で、”素朴さ”を感じたからかもしれません。

 

ふと目を向けると、道ばたに信州の”道祖神(石仏など)”のような”キリスト像”が祭ってある・・。

さらに、各家庭の窓際には色とりどりの花が飾られていてきれい!

 

60キロを2時間近くかかって着いた終点は、上記のような(メモより)「華麗なる田舎」でした。

そんな山の中でも近くの幹線に”複数の観光バス”の姿があると、この国もまた”観光立国”なことを実感させられました。

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipPkem7L2wqiQqBCHy-y60xkxOI9MX5Z6dekJ_Xh=w408-h306-k-no

(山国の山の中)

 

滞在中に雨が降り出し”肌寒さ”を感じつつツェル・アム・ゼーまで戻り、通りを小走りしても閉店変わらぬ”日曜日”。

(メモより)「風混じりの雨が冷たく、腹が減る」

さりとて、キオスク(売店にあるはお菓子のみ・・・。

 

18時6分発の急行で腹が減ってはタバコをふかし、酔っぱらいグループを見ては時のたつのを思い出し、インスブルックまでの2時間を持て余しました。

「低く垂れこめた霧が地上10m近くまで下りてきている」

 

やっと戻ったユースホステルでパン・マーガリン・サラダ菜の夕食、は毎度おなじみ”日曜の風景(*粗食)”と化してしまいました。

この日食べたのは結局、パン200g、チーズ1片、ハム20g、リンゴ、溶けかかった苺チョコ、サラダ菜・・・。

 

この6日間、チーズやハムばかり食べていれば栄養の”SOS”を感じ、明日こそは暖かい食事を誓う節約旅のバックパッカーでした。

 

## 車内 なんとかして~ ##

地元の複数の女性はなぜか列車のシート(座席)に靴底をこすりつける、なんでかな~?

あとでたたくと白いほこりが舞い上がる~。

その光景を見たらとてもその場所にそのままでは座れない、のは日本人だからでしょうか?

 

 つづく

 

(レールが狭軌(1067㎜・JR在来線と同じ)のローカル線 終点 滞在時間30分の殴り書き)