三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 53 シェイクスピアをかすめて ストラトフォード イングランド イギリス 欧州 No.544

(10月 気仙沼市安波山/あんばさん/あんばあさんの登山道/正面横のなだらかなまわり道)

 

早朝、警察署にかかってきた”おかしな電話”で交番の巡査やら警察署の刑事さんらがやってきて、このあたりがいつもと変わらないことを説明する、へき地県境民です。

3度4人訪問の家がある一方、8人来た家も。

県境で早朝の音と言えば車の通行音くらい?、おかしなことがあればすぐばれる”静かな集落”です。

 

今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

5月23日(金)

西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在28日目。

 

北方スコットランドからイングランド北西部の中心都市、チェスター(地図・マンチェスター下↓↓)まで南下してきました。

チェスターマンチェスターのように”シティ”の地位を持つ単一自治体でウェールズとの境にあります。

また、現存する”城郭都市”でもあります。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipORptbsAuEqfRF1tGO2rwonzd6uHZhxFFyq56fZ=w408-h272-k-no

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipP9yidJ1dmo2QMOorHiTRBcM-dPAk41-l43MSXn=w408-h306-k-no

(川と城壁 グーグルマップより)

 

(便せんメモ)「城壁が街を囲み、ショッピングアーケードは1階2階と”階段のような段差”がある」

さらに公園や町並みの壁はドイツ風の模様が並んでいて、歴史を感じさせる落ち着いた景色にひかれたバックパッカーでした。

 

午後、例により20分遅れの都市間バスは高速道路(Motor Way)をぶっ飛ばし、2時間半で南部の大都市バーミンガムへ。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOzSLGXubkKuxt0GRZREL8O-8GoyPnw-PZElI2O=w408-h253-k-no

(今では高層ビル立ち並ぶ バーミンガム グーグルマップより)

 

(メモより)「南へ来るほど(*ロンドンが近づくにつれ)乗客多い、ごちゃごちゃのターミナル。夏ならお手上げ?」

(毎度のことですが)17時に来るはずの南部オクスフォード(地図↑↑)行乗り継バスは・・・(来ない)。

聞けば、ただ”待て”(*ひたすら待つしかないのです)。

ところが”ややこしい”ことに、17時半に乗れたバスは”サービスナンバー(*行先の左隣に書いてある番号/〇〇〇LONDON 等)”が乗る予定だったものとは違うのです。

それでもいいやと乗り込めば、どうやら”先着(*終点は同じ)”だったようで、発車間際に乗る予定だったはずのバスがやってきました(*まあ、いいか・・・)。

当然ながら、”この時間帯は2台ある”などという、日本にありがちな”親切な案内”は望むべくもありませんでした。

きっと、ある程度でも時間通りに来なければ案内のしようもないのでしょう。

残念でしたが、市内各所にある”18世紀の産業革命当時の史跡”を見ることもなく出発。

 

先ほどまでの高速道路の景色から一転、バスは丘を越えるに越え田舎道をひた走ります。

途中、シェイクスピア生誕地”ストラトフォード”は車窓から・・・。

ロミオとジュリエットなどで有名な劇作家・詩人の創作の素となった町です。

その”水の町”ではケンブリッジのようにいたる所にボートが見え、いい雰囲気を醸(かも)し出していました。

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipOdXq1HdSxnDEsDsu5ixP9cujzC7rv7t0YAWs-m=w408-h306-k-no

ストラトフォード グーグルマップより)

 

なんだかんだでユースホステルのあるオクスフォードにバスが着いたのは19時半のこと。

同じ大学町ケンブリッジよりは大きいものの、大都市ではない割に都市間バスステーションとローカルバスステーションとイギリス国鉄駅がそれぞれ離れていて閉口しました。

 

街をたいして見ることもなくユースホステルを目指せば、それは街の中心部から3㎞離れた郊外。

(メモより)「地図なし・バス番号なしですったもんだでユースホステルに到着したのは、夜もだいぶ遅い21時のことだった」

それでも、有名地にしてはそれほど多くはない”120のベット数”で泊まることができたのは幸いでした。

(いつ食事をとったのか)「あとは寝るだけ、明日があるさ

こうして(今思えば)かなりハードな一日が過ぎていきました。

 

 つづく