(草刈りが行われよく整備されていて、それでもって誰にも会わなかった登山道)
広報誌12月の新生児の名前「友萌、彩鳳、凌仁」が「ゆめ、さほ、りいと」と読めなかった、へき地県境民です。
今から37年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
5月26日(月)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在31日目。
前日遅くにイングランドのオクスフォード(地図↓↓)からウェールズの村セント・アサンに着いて、本日は一日村歩き。
ウェールズの首都はラグビーの聖地として有名なカーディフ(地図左下↓↓)です。
カーディフから2階建てバスで1時間40分、ユースホステルがあるセント・アサン(地図左下↓↓)は小さな村です。
10時、ユースホステルの外は曇時々霧でしたが、村の中心まで800ヤード(=約730m)歩くうちに幸い晴れ間が見えてきました。
本日、月曜日は”バンクホリディ”で各施設の休みを覚悟していましたが、幸運にも小さな店が1軒開いていて”クラッカーとジュース”を買い求めることに成功!
ここから海まで徒歩15分。
左に見える発電所がなければ”田舎”の景色が続きます。
(セント・アサン 発電所 下と併せて3枚の写真はいずれもグーグルマップより)
海は砂なき石の海岸でした。
この海岸は人口か?とも思いましたが、どっこい遠くまで石が続いています。
ゴロゴロ石を飛び越えしばらく進むと、キャンプ場が見えてきました。
何台かの車とテント、そしてキャンピングカー。
人々はこういった場所で週末(今回は3連休)を過ごすのでしょう。
(セント・アサン 残念ながらこのようなワンちゃんたちとのふれあいはありませんでした)
農家さんの解放された敷地内を進むと、いつしか天気は快晴になりましたが、(メモより)「虫が飛び交う、すごいこと!」
片側が崖になり景色よさげな場所でへぼな絵をしたためてみました。
名づけて、この場所は”名無しクリフ”。
行ったことはありませんが、脳裏にグアムの”バンザイクリフ”が浮かんできました。
(セント・アサン 海沿い 高台の道)
絵を描き終わり農道を内陸部の主要道まで戻ろうとすると思いのほか遠く、1時間10分かけて着いたのは隣町でした(*方向オンチ)。
今ならグーグルマップで確認しながら行けば間違えはなさそうですが、当時は書店で買い求めた”大判のヨーロッパ全土の地図”のみで”観光案内図”は皆無。
隣町も休日(祝日)で主要道はレジャー帰りの車が目立ち、歩くかたわらを数珠つなぎの車がブーブー通っていきます。
近くの飛行場から飛び立ったグライダーが空に浮き、時折ジェット機がどこかに去って行く。
帰りがけ、またまた開いていた個人商店で缶詰を買うもパンがない!主食が~!(+米はリュックにありました)
午後5時前、ユースホステルに戻れば車が来ていて、今夜はオーストラリア人夫妻と3人です。
2人は1月よりあちこちまわっていて来月帰国するのだとか。
発音がよくなかったのか、なぜか”FOODS/フーズ(食品)”と言ったら通じなかったことを今でも覚えています(FOODフードでOK)。
夕食に開けた(開けたと書いてあるのでおそらく缶詰)”ビーフバーガー4枚60ペンス(=170円)は(便せんメモより)「やけに口に合わなかった(マズいとも)」
”ビーフバーガー”とは果たしてどんなものだったのか・・・・・。
通貨単位は£/イギリスポンド(#ユーロ加盟国後離脱/現在はポンド)で1£=約270円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
(メモより)「浮世を忘れ一日歩き回る 今日も夕陽が鳴いている いやそれはたくさんの鳥」
宿代2.3ポンド(=650円)の恩恵は今日までの2日間にして、あと何日かでロンドンに戻ることに決めました。
「いたらキリがないのがグレートブリテン島。名所旧跡そこかしこ」
(セント・アサン 名無しクリフ 遠くに発電所)
つづく