三陸 海 旅 つれづれなるまま

三陸沿岸 へき地移住者の暮し 旅の話など

昭和の東西ヨーロッパ行 88 標高2000mの宿と3000mの氷河は スイス バレー州 No.579

(隣県 震災後整備された海岸付近 左は巨大防潮堤 だだっ広い敷地は人影少なくウォーキングや犬の散歩にもってこい)

 

1月、病院嫌いが2年半前からの体調不良再発で半島の開業医へ行けば、従業員が11人もいて驚く(雇用◎)、へき地県境民です。

 

今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。

「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。 

 

6月26日(木)

フランスから越境しスイス滞在7日目

(地図と写真はグーグルマップより)

 

前日、標高1000mの小さな村フィエッシュ(地図↑↑中央”グリンデルヴァルト”下あたりからロープウェイで標高2000mのユースホステルに泊まり、この日標高2986mの終点で”白い河”(地図↑↑)を見る。

赤い直線ロープウェイ フィエッシュ~エッギスホルン 宿は途中の乗換駅に)

 

運がいいことにこの日も朝から快晴でした。

簡単に朝食を済ませ、10時15分、小リフト(ロープウェイの小さいやつ)で一気に2000m⇒2986mの終点へ(とんでもないスピード)”わずか5分”で登れば、下界はさらに小さく、目の前は雪どっさり!

(便せんメモより)「どうやら雪は溶け始めの模様」

 

ふもとの村の家々が胡麻のように見える1000mの谷を挟み、対岸ならぬ”対山”と同じような高さにいるのがなんとも不思議でした。

”対山”の右側には4000m級の山々があちこちに見える!

そして前方に4200mの山!

滞在中、空気はちゃんと吸えていました。

(メモより)「すごいどころではない(氷河のパノラマはんぱなく)」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNs4HHlz1ctHQTU5VYrty48HjYk_f_NEvKVhWCF=w568-h240-k-no

(右側・標高2927mのエッギスホルンとアレッチ氷河

 

登山ができない分、他の観光客たちは思い思いに岩山に座り時を過ごしています。

さっそく高所は普通?(人並み)のバックパッカーも岩山に座りましたが、こわい~(*落ちたら終わり)。

写真よりも崖下にある氷河は最初恐る恐る遠くから眺め”目を慣らし”少しづつ焦点を手前にすれば大丈夫・・。

日が照っているので寒さは感じず。

大迫力のパノラマを前にしばらくスケッチをして過ごしました。

 

13時45分、3時間半の滞在も名残惜しく、忘れることのない記憶と共に下りリフトに乗車すれば5分であっという間に1000m弱を下り中間駅に到着(乗換)。

 

標高2000mの中間駅にあるユースホステルに戻れば、4人部屋はなんと!本日も貸し切り。

それでいて、物価高の国で宿代10スイスフラン・950円は幸運としか言いようがありませんでした。

”対山”スケッチのあと、17時ごろ散歩に出かければ風は涼しく肌をかすめ、だいぶ高所にも慣れた模様。

「2000mから1000m下の谷を見、1000m以上の山山を見る」

(メモより)「こんな機会は二度とあるまい」

 

https://lh5.googleusercontent.com/p/AF1QipNq5Vox18w1ZnEYo2CGtMWwRg2V0e63jCi0g6bW=w520-h240-k-no

(標高2000m ユースホステル近くの風景)

 

この日の(ユースホステルに食事を提供する)レストランでの夕食(10スイスフラン・950円)は

・何種類かの野菜とマカロニのスープ

・(日本のハムではない)ハムステーキ2枚

いんげん

・フライドポテト(*靴底みたいに線がついていて「うまい!」を連発)

この日も”おかわりいかが?”(申し出)があって、ポテトとハムまで1枚追加!

 

デカンターではない、”取っ手付きの靴型の瓶”入りの白ワイン300m・4.5フラン・430円はたまのぜいたくとレストランへの感謝で。

(*当時は意識しませんでしたが、ワインの産地で有名なバレー州。出されたワインはきっと地元産だったのでしょう)

 

通貨単位はスイスフランで1フラン=約92.5~100円・2024年1月時点で170円

国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 

35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)

 

部屋に戻ると、一日中続いた快晴でやさしく夕陽が建物を照らし、スイスまで来た実感がじわじわと湧いてきて・・・・・。

(メモより)「なんという一日だ!」

”何も言うことのない経験”はその後の人生の”大きな糧(かて)”となりました。

その夜、2日連続貸し切りの部屋ですこやかな眠りについたことは言うまでもありません。

 

 つづく

 

アレッチ氷河と残雪)