(隣県 震災で坂を下った先の民家はすべて撤去され、水産加工場以外は空き地が広がります
養殖の盛んな湾を挟んで奥は広い砂浜)
1月、病院嫌いが2年半前からの体調不良再発で半島の開業医へ行けば、聞き覚えのある何種類かの”ご当地苗字”が呼ばれて納得のへき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月25日(水)
フランスから越境しスイス滞在6日目。
(地図と写真小文字の文はグーグルマップより)
西部バレー州の州都シオン(地図↓↓左下)から東方の小さな村フィエッシュ(地図↓↓中央19付近)で下車した後はロープウェイで一気に1000m上へ。
利用したのは、フィエッシュ~エッギスホルン間(地図↓↓)のロープウェイ。
料金はユースホステルのある途中まで17フラン・1600円、終点まで28フラン・2650円が、”半額カードで25%引き21フラン・2000円になり、節約バックパッカーの背中を押しました。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
(赤線はロープウェイ フィエッシュ~エッギスホルン 宿は途中の乗換駅に)
15時発、大きい方(ゴンドラ)にお客は4人。
(メモより)「動き出したら速い速い!ぐんぐん登る!!」
「鉄路はぐにゃぐにゃな線を描いているし、村はパラパラ、中腹の家々もパラパラ」
それはすごい、とんでもない眺めでした。
1000m弱を9分で登り切り、あっという間に2020mへ着いてしまいました。
見上げれば当然ながらロープウェイがはるか上まで伸びています。
下界(と言っても1040m)のなんと下なこと!
駅周辺には3,4軒のホテルと、いつ使うのか家が数軒。
20人か30人ほどの観光客はさすがに少ない方で、荷物を置いて近場を歩いてみました。
”横づたい”に他の村やロープウェイにも行けるようになっています。
時間を作りハイキングは楽しそう・・。
(横道・ハイキング道 3000m級の山々もこの高さから)
道ばたにはかわいらしい高山植物、残雪、そして融水。
日が照れば少しポカポカの中、ハンググライダーが”何羽”か2000m~3000m台を上へ下へ・・・。
それは、高所が得意ではないバックパッカーにこの時ばかりは”体験してみたい!”と思わせる、優雅な”舞い”でした。
ユースホステルはなんと!徒歩1分かからない”ケーブルカーのある建物の中”。
ドイツ語で何か書いてある通りに駅併設のレストランに行き受付をしてもらい、指示された部屋は「最高」(*4人部屋でおそらく家族ルーム)でした。
それでいて素泊り10スイスフラン・950円。
部屋の左右でロープウェイが降りたり登ったり、部屋の前から1000m下がもろ見え・・。
そして、1000m下の村を挟んだ向かいは雪をかぶった山・山・山。
幸い団体さんは”離れ”にてOK。
結局この日、4人部屋は貸し切りでした。
さらに、レストラン併設なので夕食(10スイスフラン)を頼んだのも大正解でした。
レストランのお味で、
・パンは2種類でドイツ語圏らしくライ麦パン、ひとつはクルミ入り!
・焼きトマト(*なかなかいけました)
・豚の焼肉 150gくらい(*みそ味みたいで メモは”うめ~!”)
(メモより)「まさかこの国で肉が食えるとは・・」
・インドネシア風のライス(*長粒子・少し硬いがOK)
なんと!!おかわりいかが?と肉とライスを持ってきた!
ありがたくおかわりした後(デザート)は、チョコレートババロアが待っていた~!
(*うまい!)
なんという幸せな一日でしょう・・・。
この夜、心ゆくまでゆっくり一人で寝たことは言うまでもありませんでした。
つづく
(標高2000mのロープウェイ駅にあるユースホステルの部屋の窓から1000m下を望む
向かいは3000m級の山々)