(昨年12月 福島県 浜通り 信号のほとんどない海岸通り この先福島第一原発 いまだ通れず・・・)
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月13日(金)
イギリス海峡を渡りフランス滞在10日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
ロワール川沿いの古城巡りの拠点、トゥール(地図下中央↓↓)周辺で徘徊(はいかい)の一日。
2日続きの快晴のもと、街の中心まで公園やら川を見ながらぼちぼち歩くこと1時間半。
格安切符トランスアルピーノを扱うWASTELという旅行社を、観光案内所で地図をもらいながら教えてもらえたのは幸いでした。
ロワール河畔一帯は狭い石畳の道に”3,4階建ての家の壁”が立ち並び、さながら”倉敷市の町並み保存地区”のような”歴史感”漂い・・・。
(絵はがき 印刷はイタリア レトロな車が1980年台を物語る)
旅行社でなんとか英語✖(不可)の女性からリヨン行の切符(350㎞・150フラン=3900円)を手に入れ再び街歩き。(*観光地・周辺観光の拠点の旅行社でも英語が通じないので、下手でもなんでもフランス語に限ります)
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
どうやらこの街では2つある”大聖堂”が有名なようですが、このあたりまで来るころにはだいぶ見慣れてしまい食傷気味になっていました。
それほど大聖堂や小さな町や村にまである教会は、いわば神社やお寺さんのような身近な存在。
(サン・ガディアン大聖堂)
他方に目を向けると、大都市にふさわしい(?)近代的な建物群も目につきます。
ふと気がつくと、走っている車は”左しかバックミラーがない!”(*運転席は左)
それでも走っているわけで”基準なんてそんなもの”とも思えました。
あればあったで、なければないで・・・。
パリより(当然)物価の安い地方都市での昼食は、
(便せんメモより)「”トレイを持ち食べ物を頼む”(セルフ)レストラン(食堂)で、ワイン(ロゼ・360ml・デカンター5.5フラン=155円)、パン1フラン、”古いラビオリ”という名の”貝の形をしたマカロニの中に刻み肉が入ったトマト煮14フラン(=400円)」
「ハンバーグ類は20フラン(=560円)以上」
節約バックパッカーにはたまの価値ある有意義な食事でした。
(食後)「酔っぱらう」
「買い物をし、真っすぐ行けない”大きなループ状の道路”をユースホステルまで戻るのに2時間かかってしまった」
(川の中州の公園)
途中、川の中州では太陽を受け日光浴する人たちで一杯で、12時から19時40分までのプールも一杯(大人7.8、学生6.3、子供5.2フランでそれぞれ220円、180円、150円)。
広い敷地内での”日光浴”も花盛りでした。
日光浴と言えば日照時間の短いロシアや北欧のイメージでしたが、そういえば過去テレビでセーヌ河畔(パリ)でもやってましたっけ・・・。
(メモより)「中に中学生くらいの女の子が(サン・マロの海岸に引き続き)トップレスで男の子と寝そべっていて驚いた」(*これまた遠くでよく見えませんでした)
「綿の木でもあるのか、道を綿がおおい風に吹かれて流れるさまはさながらアニメを見ているかのよう」
もし明日も晴天が続くなら、モペット(電動自転車)を40フラン(=1120円)で借りて城巡り・・はたして・・・。
ユースホステルでは(メモより)「かわいいスイス(スイスフレンチ/フランス語圏のスイス人?)の女の子二人組を発見したが、話す機会をイングランド中年男性に取られてしまった・・」
「イギリスのスーパー袋を持つ東洋人には目もくれず、(彼は)ワインを(彼女らに)提供し、楽しい夕食」(*日本と違いアルコールOK)
「思えば(関係ないけど)今日は13日の金曜日」
この日は100円もしないで買えたカマンベールチーズ(丸い木の容器入り)が2.3日て強烈なにおいと味に変わっていてギブアップ(腐っていた?)。
さらに、いつの間にか共同冷蔵庫に入れていたバターを半分食べられていて”ガ~ン!”・・・思い出しました。
今なら笑って許せそうなのは、それだけ年月を重ねたからでしょうか・・・。
つづく