(昨年12月 福島県福島市飯坂温泉 川沿い奥に立ち並ぶ建物群 かつての栄華の象徴も現在は使われなくなっていたり、老人ホームだったり 旅館は右端のみ)
先日、県の公立高校の志願倍率が発表され結果は、
・かろうじて2倍が1校
・最低は定員40名で0.03倍(*1人で0.25倍のはずですが・・)
・定員を減らしても、統合してかっこいい(?)名前になっても・・・(厳しい)
かつて写真館からの依頼で撮影した県北の3校はいずれも定員割れで、0.24倍、0.3倍、要の地域の元進学校も1倍割れ・・・。
そのため、”どこかには入れる”雰囲気があるという意見になんともいえない、へき地県境民です。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月7日(土)
イギリス海峡を渡りフランス滞在4日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
本日は一路有名地モンサンミッシェル(地図左↑↑・サンマロの右あたり)のある西海岸へ、途中下車ありで進みます。
ほとんどバスでの移動だったイギリスから一転、鉄道(フランス国鉄)三昧(ざんまい)に鉄道ファンは本来の目的達成です。
(便せんメモより)「(どこで出会ったのか?)ニース(南仏)に行く男女と別れ、凱旋門近くのインフォメーション(案内所)で”月間パリ便り(500円)を無料でもらう」
西部への始発駅モンパルナスへと向かう地下鉄6号線は途中少しばかり地上を走り、ちょうどセーヌ川とエッフェル塔界わいを見ることができて”よき地下鉄”でした。
(現在のモンパルナス駅 当時はこのような”流線形”はなく”いかつい顔”でした)
11時半過ぎ、モンパルナス駅を出たエクスプレス(急行)は雑踏とおさらば。
途中にあるベルサイユ宮殿(地図右↓↓)は車窓から垣間見ることができました。
時速160㎞まで出せる車両はバー(BAR)付13両で、時に160㎞で平原を突っ走ります。
「速い速い!」
1時間弱で途中駅シャルトル(Chartres)に到着しましたが、1字違い(Chatres)で同じパリ郊外のシャートルへ行ってしまうので注意が必要でした。
シャルトルは大きな大聖堂と外回りを幹線道路が囲む田舎町でした。
(シャルトル大聖堂)
(メモより)「土曜日でも大方の店は開いていて助かった。少量の野菜とパン・ハムを求む」
「広場でなぜかファッションショー」が行われていたようです。
整然とした”碁盤の目”とは対照的な、”クモの巣を崩したように不規則に折れ曲がる”たくさんの路地巡りを終え、夕刻ユースホステルに向かえば入口に”FULL UP(満員)の札が・・・。
”ベッド数68”は時に残酷、これで自炊も不能になってしまいました。
これから、24時間耐久レースで有名なル・マンまで2時間耐えるのは無理そうなので、少ないホテルを探し回ること1時間、駅向かいの飲み屋&ホテルに落ち着いたころには午後6時を回っていました。
(メモより)「セミダブル、素泊り60フラン(=1600円)は”風呂・シャワーなしトイレなし”で、共同トイレはどこなのだろう?」
「お湯の出ない洗面所、なぜか使えないビデ付」
「他にはロッカーと机のみ」
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
午後9時。
今朝の食事は牛乳の残りとビスケット。
昼はリンゴジュース、パン一切れとビスケット。
結局夜はハム、トマト、パンふた切れとポテトチップス、ビール1Lでした。
暖房もない部屋でほろ酔い気味に、静かなる夕陽を見ながら便せんに日記(メモ)をしたためていると、無性に暖かいものが食べたくなりました。
「シャワーも3日ほど浴びていない」
それでも、バーのビールは5フラン(=140円)くらいでコーヒーも4フラン(=110円)と安く、この場所が大都市パリではない地方なことを実感したのです。
::: おっと フランス ;;;(*あくまで個人の感想です)
・フランス女性はスカートが少なくミニもない おまけにファッションもない?
・タバコを吸う人が多いのに、灰皿は街中にない!
・ラジオはFMのみでAMはほとんどない TVも
::: スーパーで ;;;
・安いビール 1L 6.25フラン(うち瓶代1フラン)=160円!
・ポテトチップス85g 3フラン(=85円)
・ハム120g 7フラン(=190円)
(現シャルトル駅)
つづく