(昨年11月 晩秋の福島・飯坂温泉 大きな宿・ホテル聚楽を前にして)
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月6日(金)
イギリス海峡を渡りフランス滞在3日目。
(地図と写真はグーグルマップより)
この日は切符の手配などもありパリに連泊することに。
(便せんメモより)「なぜかあちこち宿が混んでいて”つかまらない”」
「Let’s Go Europe/レッツゴー ヨーロッパ」という英語ガイドも役に立たなかったようです。
同部屋(トリプルルーム)の米国人女性は気の強いお方?で、米国人男性と昨夜口論をした末、あろうことか朝一人で出て行ってしまった・・・。
(ということは、連泊なので宿代が”÷3”から”÷2”に・・・)
そんなことにもめげずに米国人の彼は美術館巡り、自分は日本人向け旅行代理店(ヨーロッパの有名都市にある)へ。
しばらく歩いてたどり着いたその場所(旅行代理店)は、イギリス・ロンドンと違い”団体・個人”と分かれている・・・。
さらに暇だったロンドンと違いだいぶ忙しそうで、30分待ったあと「トランスアルピーノ(格安切符)は扱っていません」とのこと。
これで午前は終了・・・。
午後、銀行で両替をしたのは日本で替えたドルのT/C(トラベラーズチェック・1フラン26円)よりもレートがいい(1フラン25円)円(お札)。
さらに、円のトラベラーズチェックならもっとよかったようですが、出国前にその考えは浮かびませんでした。
(便せんメモより)「ポンド・フラン・マルクのトラベラーズチェックではなく、円のトラベラーズチェックだったなら、4~5万円は得をしていた?と思うと恐ろしい」
当時はそれほど円が日に日に強くなり(円高)、”旅行するにはもってこいの時代”でしたが、レートの高い安いは来てみないことにはわかりません。
さて遅い昼ご飯はと、「地球の歩き方(ガイドブック)」にあった「ラーメン大盛15フラン(=420円)」の店を目指し西から東へ景色を見ながら歩くこと2時間半。
あるはずのリヨン駅裏(地図↑↑・パリ植物園から川を挟んで右側の駅)にあったのは中華料理店で名前が違い、日本語メニューはえらいお値段・・・。
(リヨン駅)
周辺に数ある日本料理店はいずれも違い、「地球の歩き方」が「地球の迷い方」に変わった瞬間でした(*紙の媒体はリアルタイムで更新できず、たまにこのようなことが・・・)。
朝、イギリスで買ったチーズの残りを食べただけの体に、駅で飲んだビール350ml・9フラン(=230円)はよく効いたようでした(*駅価格(割高)も)。
「コーラも9フラン、ポテトチップス90g・5フラン=140円 だけど仕方ない」と追加・・・。
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)
しばらく歩いた、とある街の通りには赤い屋根のカフェとパン屋さんがやたら目立ち、コーヒーは6~10フラン(=160円~280円)で小・大が飲めるようでしたが、欲していたのは”食事”。
肝心のスーパー探しはむなしく見つからず・・・。
(今なら思う、”パン”だけでもいいから買えばいいのに・・)
諦(あきら)めて宿に戻る途中にやっと見つけた”COOP・コープ”はフランス語のみで英語はまったく通じず、”さくらんぼの量でトラブル”発生!
(メモより)「200gが2㎏に・・・」(発音が全然違うのでわざと??かも)
「きゅうりと思ったものは違った」(*今なら想像できる・ズッキーニか?)
さらに見つけた”市場”では、ビール1缶一番安いので6フラン(=160円)。
ビスケット(小)6フラン、フランスパン10フラン(=270円)
牛乳5.5フラン、サラダ200g・12フラン(=330円)
ホワイトブレッド(イギリスパン)は13フラン(=350円)で、イギリスは35ペンス(=100円)と全般的に割高な大都市パリの物価でした。
(リュクサンブール公園 地図↑↑上・”6区”あたり)
街をさまよううちに幸運にもトランスアルピーノ(格安切符)を扱う旅行代理店を見つけ、(メモより)「よかった!英語が通じる!」
購入した切符は、西海岸のサンマロ経由トゥールまで/455㎞+363㎞=818㎞で265フラン(=7155円)。
「普通運賃と考えるなら日本国鉄より割高 しかしこれでも学割で半額」
それでも日本と違い急行料金は基本かかりません。
一日あちこち歩いた末、やっと宿に戻りラジオのスイッチを入れれば、イギリスとは対照的にFMがびんびん入ってきてしばし心地いい音に没頭するバックパッカー・・・。
アメリカ人の彼はどこかへいったままで、朝出て行った彼女は戻らず、気がつくと時刻は午後9時をとうに回っていました。
”大きな街”の喧騒(けんそう)から逃れ、思いっきり田舎の街(町)へ繰り出したい気持ちが沸き起こり、明日は”都落ち”。
さてどうなることやら・・・。
(モンパルナス地区 地図↑↑下部)
つづく