(昨年11月 国道45号線 旧道 通る車も ましてや歩く人もなく あるは野鳥の声と木々の陰ばかり)
12月、午後4時前、隣県の半島からの帰り道。
新道で目の前を突然横切ったシカちゃんは”大きな体に立派な角を持つオス”でした。
ちゃんと横断後はこちらを振り返り・・・(ご挨拶)。
今か38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月4日(水)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在40日目。
この日は3月末に降り立ったパリまで向かい、今度はイギリス海峡をフェリーで渡ります。
(地図と写真↓↓はグーグルマップより)
昨夜、アメリカ留学3年からイギリス経由で帰国するという日本人と話し込み、深夜零時に就寝、6時半起床、あわただしく身支度をし宿を後にしたのは7時すぎでした。
ビクトリア駅(*コーチステーションではないイギリス国鉄の駅)で残りの30ペンス硬貨(=80円)を使おうにも、缶ジュースは35ペンスで売店には人の列・・・(断念)。
通貨単位は£/イギリスポンド(#ユーロ加盟国後離脱/現在はポンド)で1£・100ペンス=約270円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
プラットフォーム19(19番線)で見たのは、入国直後ドーバーから乗った、あのおんぼろ車両でした(*同じ型の意)。
(便せんメモより)「やはり単なるローカル線 大陸間連絡線だからそれなりの車両、は勝手なる思い込み」
指定席付近の人込みを避け”比較的新しい製造の車両”に座れば、8時、ニューヘブン(地図下↓↓)行の8両編成はゆっくり南に動き出しました。
途中、ヒースロー空港と並ぶもう一つのガトウィック空港を過ぎれば、快晴の空の下お約束の丘の風景が車窓に広がります。
(途中の町 ルイス・地図↑↑中央下)
まばらな乗客と古い車両に陰気臭さを感じつつも列車は時速120キロ以上で平原を飛ばし、9時10分/1時間10分で着いたニューヘブン(地図↑↑中央下)
は(メモより)「ハーバーはあまりにも田舎だった」
「ヨット少々、周りにわずかな家」でも駅は”町・港・フェリー”と3つ。
(ニューヘブン/新しい天国という意味ですが・・・天国があれば反対に?・・・)
そんな”堀の中”にSNCF(フランス国鉄)のSEA LINK(シーリンク)社のディエップ(地図下・ルーアンの真上↓↓)行フェリーが停泊していて、1時間後の10時10分、エメラルドグリーン(海)と”白い断崖”の見送りを受け出航・・・。
(メモより)「ドラ(の音)もなければ、(スコットランド民謡)蛍の光もない」
「沖から振り返れば、右にイーストボーン・左にブライトンの街並みが見えた」
ディエップ(地図下・ルーアンの真上↓↓)までの”5時間”でまずは船内見学を。
定員1200名の半分以上のお客さんを乗せた船はシネマ(映画館)からバー(と言ってもその雰囲気には程遠い)まであり、思いのほか立派でした。
ただし免税品は高めで、タバコ1カートン(10個)6.85ポンド(=1900円*当時はこれでも割高な時代でした)、ウィスキー500mlと1L・それぞれ4.65ポンド(=1300円)くらい。
「ワインの国だしワインを飲もう!」
少しでも足しにとフランス語(会話)の本を見ていたらすぐ眠くなり・・・気がつけばもうフランス側の岸辺が見えてきました。
予定通り、15時すぎにディエップに”上陸”。
(ディエップ)
フェリー駅から列車に乗らずに宿泊予定のユースホステルまで歩き出せば、あちこちに古い教会があり、カフェテリアが立ち並ぶ通りにはたくさんの観光客の姿がありました。
「ユースホステルは”広場の地図”でなんとか”通り名”を見つけることができた」(*通りさえわかればあとは番地を探せばOK・非常にわかりやすい)
安心して明日の列車時刻を調べようと町の駅に行けば、なんと!パリ行8時45分の次は12時台・・。
これはまずいと運よく5分後に来た列車に乗れば、フェリー駅始発のパリ行急行とはなんとラッキー!!
久しぶりに乗ったフランス車両は、外観・デザインは申し分なく(*イギリスとの差)、
「レールの継ぎ目の”カタカタ”と防音と乗り心地は(イギリスの)インターシティ(都市間優等列車)の方が数段上か」
「”英仏車窓の違い”は丘に木が立つフランス・何もないイギリス」
40分あまりで川沿いの街ルーアン(地図上↑↑中央)へ。
そこはジャンヌ・ダルク終焉(えん)の地であり、百年戦争の英雄が火(あぶりの)刑に処された過去を持ちます。
またこの街も、パリに限らず国内各地にある「ノートルダム大聖堂」がひときわ高くそびえ立っています。
駅に街の地図はなく、”I”(インフォメーション・案内所)の看板もなく、最寄りの方に聞けば”徒歩15分の街中”とのことでしたが・・・・・。
”ノルマンディー地方の中心都市”の大きさを感じながら進めばもうそこはフランス、
「”ちょびひげの男や黒髪の女”はイギリスにはいない」(*おおむねです)
街の中心を流れるセーヌ川の対岸に見える大きな建物3つ4つはホテルか会議場か。
日本ならさしづめ広島市あたりか?などと考えつつ、すったもんだで”15分が1時間”。
午後6時過ぎに着いたユースホステルの受付のお嬢(さん)は”英語カタコト”でしたが、4.6フラン(=1250円)の部屋はツインルームで幸い建物も新しい・・。
さらに朝食込でした。
加えて、大都市にしては観光地でないせいか宿泊客も少ない・・・。
ちんぷんかんぷんのフランス語に手こずりそうな予感を抱えつつ、イギリスとはだいぶ違う”ツインルーム”のベットで安らぎ覚えるバックパッカーでした。
つづく