(昨年11月 三陸自動車道に代わられ交通量少ない国道45号線から見えるリアス式海岸 遠くの山々は隣県 すぐそこ)
12月下旬、マイナス5度の朝。
窓際のクモちゃんは風に揺れるハンモック(クモの巣)の中で微動だにせず”、空を見れば同じポーズで今日もゆらゆら・・・。
今から38年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
6月3日(火)
西ドイツの友人宅を出、ベルギーからドーバー海峡を渡りイギリス滞在39日目。
(地図と写真と説明文はグーグルマップ)
前日、旅行代理店で購入したバス切符でイングランド南西部の町、旧イングランドの首都ウィンチェスター(地図左下↓↓)まで日帰りの旅に出ました。
(地図と写真と小文字の文はグーグルマップ)
今にも雨が降り出しそうな曇り空の下、ユースホステルからビクトリアコーチステーション(都市間バスターミナル)までは徒歩55分。
この日も11時に発車するはずのバスの姿は見えず、結局25分遅れで発車・・・はもう慣れっこです。
街中からモーターウェイ(高速道路)に出てヒースロー空港に立ち寄れば、ターミナルは4つ、駅は2つでバスも順に停車して(*時間がかかる)やっと”迷路”を抜けだしました。
(便せんメモより)「コンコルド(音速ジェット機)の尾翼だけ見えた」
コンコルドは、1976年にブリティッシュ・エアウェイズ(イギリス)とエール・フランスの2社で運航が開始された伝説的な超音速旅客機です。
乗客100人を乗せ、音速の2倍という速さで飛行しました。その最高速度はマッハ2(約2,180 km/h)で、通常の旅客機が飛行する高度の2倍の高度を飛行できるモンスターマシンでした。
客船タイタニック号の1.6倍の出力だったそうです。
速さを追求したため、燃費を含む維持費とアメリカへの乗り入れに難があり、経済的な成功を収めることができませんでした。
そのため、2003年11月26日に最後の商業運航を行い、その後退役しました。
なんだかんだで雨道も手伝い、遅れに遅れたバス。
その遅れを取り戻そうと飛ぶに飛ばした結果、坂道を下った先にある円環道路手前でブレーキをかけても止まらない!
急ブレーキをかけた結果、バスは左右に揺られガードレールにぶつかる直前で止まった!
そこは円環道路の中で、他に車がいたら・・・(アウト)。
その後、彼の運転が慎重になったのはいうまでもありませんでした。
丘と原っぱを見て2時間、35分遅れの13時半に着いたウィンチェスターはすごい所でした。
(ウィンチェスター)
イングランド南部のハンプシャーにある町は、アングロサクソン時代にイングランドの首都で中世から代表的な巡礼地として栄えてきました。
(メモより)「カテドラル(大聖堂)の建物は増築を繰り返し、高さはないが長さは100m?の壮大さでイギリスで一番。600年代から1300年を経た今も補修を続けている」
(拝観料は85ペンス=230円も今は公式サイトで2328円、、、10倍)
通貨単位は£/イギリスポンド(#ユーロ加盟国後離脱/現在はポンド)で1£=約270円
国税庁発表の統計によると、1986年(昭和61年)の平均年収は386万円 。
35年後、2021年(令和3年)は443万円で約15%上昇(約13%低い↑)。
「城内の12世紀の町並みが7世紀たった今も残っている感じ」
「壁の一部は1000年を過ぎた今も風雨などの自然と共にあり続ける」
博物館では19世紀の薬屋とたばこ屋を再現、今も営んでいるのが興味深いところでした。
午後4時半。
たった3時間の滞在を惜しみながらもお別れバスに乗り込めば、ロンドン行でもお客は3人!途中も入れて6人でした。
1か月間の移動で20回超お世話になったコーチ(都市間バス)もこれが最後と思うと、次第に哀愁と愛着が湧いてきました。
M3からM4(高速道路)に入ったバスは、夜間ひときわ映えるヒースロー空港の照明を後にし市内中心部へ・・・。
(メモより)「首都高速3号線(渋谷線・用賀⇒都心)か、東北新幹線が荒川橋梁を渡り都心へ近づく時の風景に出くわす」
「そこは生きづいている街 脈動が手に取るよう」
国内を6週間かけての移動で人々の親切を感じ、生の自然を感じ、もう少しいたいという気持ちは”腹八分目”にして”次の訪問国フランス”へ・・・。
この夜も”都会の明るい空”が静かに更けていきます。
午後11時、やっと暗くなった空が明るさを取り戻すまで約5時間。
午前4時半はもう朝です。
つづく